ローマ水道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/26 19:40 UTC 版)
ローマ水道(ローマすいどう)は、紀元前312年から3世紀にかけて古代ローマで建築された水道。ローマ水路とも。古代ローマでは、都市や工場地に水を供給するために、数多くの水道が建設された。これらの水道は古代のもっとも偉大な業績の一つであり、古代ローマ滅亡後1000年以上もこれに匹敵するものは作られなかった。現代においてもこの古代の水道は多くの都市で実用に供され、実に2000年以上も水を供給しつづけている。
注釈
- ^ 1世紀から2世紀にかけて、歴史上の推定都市人口より人口100万人
出典
- ^ 東京都 もっと知りたい「水道」のこと H21年
- ^ 文明と水は深い絆[リンク切れ]
- ^ Aqueduct Architecture: Moving Water to the Masses in Ancient Rome
- ^ 世界の水歴史[リンク切れ]
- ^ 堤亮介「元首政期ローマにおける : 「都市の健全性」と公衆浴場」『パブリック・ヒストリー』第11巻、大阪大学西洋史学会、2014年2月、17-35頁、doi:10.18910/66525、hdl:11094/66525、ISSN 1348852X、NAID 120006354095。
- ^ 新矢将尚『都市道路堆積物中の鉛の発生起源とその流出挙動に関する研究』 京都大学〈博士 (工学) 乙第11966号〉、2007年。doi:10.14989/doctor.r11966。hdl:2433/136331。NAID 500000369482 。
- 1 ローマ水道とは
- 2 ローマ水道の概要
- 3 技術
- 4 ローマ水道の最後
- 5 関連項目
ローマ水道
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/24 00:20 UTC 版)
「セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス」の記事における「ローマ水道」の解説
フロンティヌスの最大の著作は2巻の『水道書』 De aquaeductu で、ローマ水道の現状を皇帝に報告した公式文書である。ローマの水供給の歴史と詳細が記されており、水道の利用と保守に関連する規則も含んでいる。全てのローマ水道の歴史が、水路の大きさや水量の詳細を含めて記されており、アッピア水道、アルシエティナ水道、テプラ水道、新アニオ水道、ヴィルゴ水道、クラウディア水道、トライアーナ水道などを扱っている。また、それぞれの水質についても、主に水源が川か湖か泉かという点から記述している。 水道長官となって最初に行ったことは水道の地図を作ることで、それによって保守を行う前にそれらの状態を評価できるようにした。彼は水道の多くが軽視され、能力を最大限に発揮していなかったと述べている。中でも農夫や商人が不法に水道を流用することを特に心配した。誰でも水路に管を挿し込んで水を無断で利用することが可能だったためである。そこで彼は、取水口での取水量と各地への供給量を几帳面に調べ上げ、不一致がないかを調査した。フロンティヌスはウィトルウィウスの前世紀の著作『建築について』 (De Architectura) をよく知っていた。『建築について』には用水路建設とその保守についても記述があり、フロンティヌスは自らを「配管工」だとしたこともある。
※この「ローマ水道」の解説は、「セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス」の解説の一部です。
「ローマ水道」を含む「セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス」の記事については、「セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス」の概要を参照ください。
ローマ水道と同じ種類の言葉
- ローマ水道のページへのリンク