「帝国」としてのインペリウム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/11 15:17 UTC 版)
「インペリウム」の記事における「「帝国」としてのインペリウム」の解説
共和政期中期になると、インペリウムは「インペリウム(命令権)の及ぶ範囲」という意味でも用いられるようになった。ローマの命令権の及ぶ範囲がインペリウム・ローマーヌム(Imperium Romanum)であり、すなわちローマ帝国である。 古代ローマの歴史家は、アテネ帝国、スパルタ帝国、カルタゴ帝国、マケドニア帝国、ペルシア帝国、バクトリア帝国、パルティア帝国といった強国を指して特別に「帝国(Imperium)」と呼んだ。これらの帝国のうちアテネ帝国、スパルタ帝国、カルタゴ帝国は民主政や寡頭制の帝国であった。また、君主政の帝国の場合には帝国の君主は「王(rex)」と呼ばれた。 こうした共和政ローマ時代のインペリウムの概念は、単に古代ローマ人の用いた用語としてだけではなく、現代に至るまでヨーロッパにおける「帝国」の概念として用いられ続けている。このラテン語のインペリウムが時とともに音韻変化を遂げたものが、日本語において一般に「帝国」と訳されている英語のエンパイア(Empire)やフランス語のアンピール(Empire)である。
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