煉瓦および外装材
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 20:17 UTC 版)
共和政末期になると、ローマン・コンクリートはあらゆる建築に採用されるようになったが、当初は割栗石を積み上げただけの不規則なもので、その上に漆喰を塗って済ませていた。やがて、表面の仕上げもかなり意識されるようになり、凝灰岩を噛み合わせるオープス・レティクラトゥム、そして帝政初期にはオープス・テスタケウムが採用されるようになる。煉瓦と凝灰岩を交互に重ねることも行われており、これはコストを安くあげるための措置であった。建築に煉瓦が採用されるようになると、ローマ郊外では煉瓦を多量に生産する工場が建設された。ローマ建築をささえたのは、このような建設資材の安定的な供給と流通経路の整備である。 ローマの建築資材はほとんどのものが規格化されており、共和政末期には煉瓦などは大規模な工場で生産・備蓄され、基準寸法と数量による発注と配達が行われていた。大理石は、共和制時代にはギリシア、エジプトから輸入される希少資材だったが、ティベリウス帝によってイタリア各地の石切り場が開設され、煉瓦と同様、大量生産のシステムが確立された。大理石円柱の寸法は規格化され、事実上、プレハブ化されたので、他の建築から同じ規格のものを移築することもできた。
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