ローマ入城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 14:43 UTC 版)
「マルティヌス5世 (ローマ教皇)」の記事における「ローマ入城」の解説
ローマはジギスムントと対立していたナポリ王ラディズラーオ1世が占領していたが、1414年に死去した後は姉ジョヴァンナ2世が即位していた。マルティヌス5世は1419年10月にジョヴァンナ2世にナポリ王戴冠式を執り行うことで和解、安全を確保した上で1420年9月にローマ入りを果たした。 メディチ家はヨハネス23世を支援しローマ教皇庁の総財務管理者となっていたが、マルティヌス5世もメディチ家を信任し、引き続きその地位を与えた。1424年、マルティヌス5世はメディチ家当主ジョヴァンニ・ディ・ビッチにモンテ・ヴェルデ伯爵位を授けようとしたが、彼はこれを断ったという。 教皇には従来の懸念であった大規模な教会改革を行う事が期待されていたが、それは実行されなかった。当時、ローマが荒廃していたため、教皇はマントヴァとフィレンツェに住み、1420年9月に初めてローマ入りした。ローマでは秩序の回復に努め、旧サン・ピエトロ大聖堂やラテラノ宮殿などの修復を行った。建設費用と関係して、この1420年に、それまでローマのユダヤ人が支払っていた税を、イタリアのユダヤ人全体の共同責任で拠出することが定められた。
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