ローマ共和国と戦象
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 21:29 UTC 版)
ローマ共和国が最初に戦象と戦ったのはピュロスの侵攻時である。このヘラクレアの戦い(紀元前280年)、アスクルムの戦い(紀元前279年)では、ローマ軍は20頭の戦象に大きく動揺して敗北をしているが、ベネウェントゥムの戦い(紀元前275年)で戦象の無力化に成功している。 第二次ポエニ戦争において、カルタゴの将軍ハンニバルは、37頭の戦象を連れてアルプス山脈を越え(ハンニバルのアルプス越え)、イタリア半島に侵入を試みたがその殆どはアルプスを越える時点で失われた。到達できたのは3頭に過ぎないが、ローマ共和国を大いに驚かせた。その後のザマの戦い(紀元前202年)で、ハンニバルは80頭の戦象を運用した。戦闘の序盤でハンニバルは戦象を突撃させたが、ローマの将軍大スキピオは、事前にこれを予測し各中隊の間隔を広く取らせていた。戦象はその隙間を通り過ぎてしまい、方向転換のために停止したところを始末された。 アルプス山脈を越えるハンニバルの軍 『ザマの戦い』(Cornelis Cort,1567) ローマ内戦では紀元前49年のバグラダス川の戦いでは騎兵と戦象により、ヌミディア・元老院派はカエサル派に勝利している。しかし紀元前46年、ガイウス・ユリウス・カエサルは、タプソスの戦いで、指揮下の軍団に戦象の足を斧で狙うように指示した。突撃が回避され、足をなぎ払われると戦象はあえなく無力化した。この戦いは西洋における最後の大規模な戦象の使用となった。
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