ローマ再占領
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:50 UTC 版)
マリウスが最初に率いていた兵士は1000名に満たなかったが、占領した土地で解放した奴隷や腕に自信のある自由民を戦列に加えて6000名の兵士が集められた。進軍するマリウスはキンナに対して反乱に加わる事を宣言する書状を送り、すぐにキンナはマリウスを執政官代理に任命して証となる装束品を贈った。マリウスは執政官代理の称号は受け取ったが、装束品は今の自身には相応しくないとして辞退している。粗末な軍装を身に着け、駕籠も拒否して兵を率いる老将の姿は亡命生活への憐憫よりも、それを乗り越えた事への畏怖を感じさせたという。 キンナ軍と合流すると近海の輸送船を捕え、市場を制圧して軍資金や物資を確保して軍を拡大し、準備を整えて首都ローマに向かった。3個軍団のマリウス軍がティヴェレ川を渡河してラティウムに侵攻し、海路も海軍でオスティア港を制圧してティレニア海を封鎖した。ローマを包囲したマリウス軍はすぐにローマの七丘の一つであるヤニクルムの丘を攻め落とした。防衛側のグナエウスはローマの伝統に忠実な以外に取り柄がなく、奴隷の軍参加を認めないなどの失策を繰り返した。途中からマリウスの宿敵であるメテルス家のメテルス・ピウスが指揮を代行したが、グナエウスへの反乱を嗾けた兵士を罰するなど規則に拘ってメテルスもまた人望を失った。 対立の中でグナエウスは暗殺され、身の危険を感じたメテルス・ピウスも再びローマから逃れて指揮官を失った防衛軍は総崩れになった。閥族派や元老院はスッラが戻るまでに勝ち目はないと見て、マリウスとキンナに降伏を申し入れた。元老院の降伏をキンナは丁重に受け入れたが、マリウスは元老院の使者を黙って睨み据えるだけで何も答えなかったという。
※この「ローマ再占領」の解説は、「ガイウス・マリウス」の解説の一部です。
「ローマ再占領」を含む「ガイウス・マリウス」の記事については、「ガイウス・マリウス」の概要を参照ください。
- ローマ再占領のページへのリンク