軍装とは? わかりやすく解説

ぐん‐そう〔‐サウ〕【軍装】

読み方:ぐんそう

[名](スル)

戦闘用武装をすること。また、その装備

急に—を整えしめ」〈竜渓・経国美談

軍服を着ること。また、その軍服

戦時中少女たちを—させ」〈伊藤整火の鳥


軍装

作者高野在善

収載図書半島作家短篇集
出版社ゆまに書房
刊行年月2001.9
シリーズ名日本植民地文学精選


軍服

(軍装 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/30 13:31 UTC 版)

軍服(ぐんぷく)とは、軍隊の構成員(軍人)が着用する衣類をいう。広義においては近代以前の戦闘員の服装も含むが、通常はヨーロッパで近代的軍隊が整備された17世紀以降の軍隊で定められた制服を指す。本項では後者の意味の軍服について記述する。


  1. ^ 17世紀頃は染色技術が未熟であったため、すぐに色あせした。そのためフランス軍の場合、当初はエリート部隊のみが青色の上着を着用し、他の部隊は灰色の上着を着用し、順次青色の上着へ切り替えられていった。それに対してプロイセンは粗末な生地を連隊でまとめて染め、フランスに比べて生地の使用量が少なくて済むよう細身に仕立てた。そして、短期間の使用で更新された。
  2. ^ 日露戦争旅順攻囲戦、第3回総攻撃において、夜襲の際、一部の隊では味方を識別するために将士ともに白襷を掛けていたが、それがロシア軍の探照灯照射によって反射し目立ったため大損害を受けた(白襷隊)。



軍装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/07 03:02 UTC 版)

軍服 (朝鮮半島)」の記事における「軍装」の解説

朝鮮人民軍軍服制定されたのは1947年のことであると思われる当時ソ連軍のそれにもっと酷似し軍服であり、軍官詰襟式で肩章のついたキーチェリ、兵下士官折襟であった肩章式の戦士であったその後1958年から全軍称号折襟人民服タイプ襟章基本スタイルとなり、現在も軍事称号制度に若干改正はあるものの、1960年代からほぼ同一である。その後礼服として灰色に近い茶色をした肩章のつく開襟式の軍服将校将官常勤服として戦闘服と同じ色をした開襟式の軍服採用され詳細不明だ1985年頃 には現在の区分出来上がったものと思われる女性ズボン使用することはモンペ髣髴とさせるという理由からスカート穿いているが、野戦等の時はズボン許可されるスカート70年代まで紺色プリーツであったが、現在では上衣同色タイトスカートとなっている。 海軍の軍服ソ連海軍の軍装が原型であり兵下士官セーラー服軍官折襟式の軍服である。空軍陸軍とほぼ同じデザインの軍装であるが、兵科色徽章陸軍とは異なり、また制帽徽章が入る。

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軍装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:53 UTC 版)

ダグラス・マッカーサー」の記事における「軍装」の解説

マッカーサートレードマークコーンパイプと、服装規則違反フィリピン軍制帽であったマッカーサー将官ながら、正装軍服着用することが少なく略装好んだ第一次世界大戦レインボー師団参謀長として従軍した際にはヘルメット被らずわざと形を崩した軍帽分厚いタートルネックセーター、母メアリー編んだ2mもある長いマフラー着用し、いつもピカピカ磨いている光沢のあるブーツを履いて、手には乗馬鞭というカジュアルな恰好をしていた。部下レインボー師団兵士らもマッカーサー倣ってラフな服装をしていたため、部隊視察した派遣軍総司令官パーシングは「この師団恥さらしだ、兵士らの規律は不十分でかつ訓練不適切で、服装今まで見た中で最低だ」と師団長ではなく元凶となったマッカーサー激しく叱責したが、マッカーサー自分スタイル変えることはなかった。 しかし、その風変わりな服装が危険を招いたこともあり、前線指揮為に地図広げていたマッカーサー見たアメリカ軍の他の部隊兵士らが、普段見慣れない格好をしているマッカーサードイツ軍将校勘違いし、銃を突き付け捕虜としたことがあった。 元帥となっても、重要な会合や、自分より地位が高い者と同席する場合でも略装で臨むことが多かったために、批判されたこともある。右の天皇との会見写真でも、夏の略装ノーネクタイというラフな格好臨んだため、「礼を欠いた」「傲然たる態度」であると多く日本国民衝撃与えた不敬考えた内務省は、この写真掲載され新聞回収しようと試みたが、GHQによって制止されたため、この写真内務省による言論統制終焉証明することになった。ただし、当時アメリカ大使館には冷房設備がなかったこともあり、夏の暑さ避けるためにマッカーサー意図せず略装迎えたともいわれている。 松本健一は、リチャード・ニクソン回想 において、マッカーサー略式軍装は彼の奇行習慣化したもので、1950年朝鮮戦争問題会見したトルーマンは、彼のサングラスシャツボタンを外す、金モールぎらぎら帽子という「19かそこらの中尉と同じ格好」に憤慨した述べている。また、マッカーサー服装スタイルには一種の「ダンディズム」ともいえる独特な性向があり、「天皇の前でのスタイルいつものものでもはるかにしなものであった」とも指摘している。ニクソン回想するサングラス色褪せた軍服カジュアルな帽子、そしてコーンパイプ」という第二次世界大戦中マッカーサースタイルは、まさに厚木飛行場降り立った時の彼の姿であった

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軍装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 21:14 UTC 版)

軍服 (ドイツ)」の記事における「軍装」の解説

大元帥軍服を着るドイツ皇帝ヴィルヘルム2世 将官軍服を着るヴィルヘルム・グレーナー 将官軍服を着るエーリヒ・ルーデンドルフ 将官軍服を着るヴァルター・フォン・リュトヴィッツ 将官軍服を着るザクセン国王フリードリヒ・アウグスト3世襟章のラーリシュ・シュティッケライはヴァイマル共和政時代ナチス体制時代更には東ドイツ国家人民軍現在のドイツドイツ連邦軍にも受け継がれている。) 将官軍服を着るヴァルター・ラインハルト 将官軍服を着るハンス・フォン・ゼークト 将官軍服を着るフリードリヒ・フォン・ゲロック(ヴァイマル共和政時代ナチス体制時代に非常に近いデザインとなっている。) 1915年パウル・フォン・ヒンデンブルク元帥(後のドイツ国大統領ヒンデンブルク参謀総長(左)とドイツ皇帝ヴィルヘルム2世中央)とルーデンドルフ参謀次長(右) 槍騎兵将校用M1907/10野戦服のプロイセン陸軍大尉マンフレート・フォン・リヒトホーフェン1917年頃) M1907/10着用下士官1914年) M1915略式野戦着用バイエルン16予備歩連隊所属兵士ら、1915年第1軍司令部幕僚中央アレクサンダー・フォン・クルック)と左の将官はM1907/10将官野戦服を、それ以外通常のM1907/10を着用1914年) M1907/10将官野戦服の陸軍中将(アルフレート・フォン・ベッセル(ドイツ語版)、1916年ごろ) M1915全兵科共通野戦着用バイエルン王国近衛歩兵連隊所属少尉アントン・グラーフ・フォン・アルコ・アオフ・ファーライ M1915全兵科共通野戦着用兵士1918年ごろ) M1915平時礼装下士官ドイツ帝国軍帽用いられ帽章左上統一ドイツ帝国、他はバイエルンなど諸邦を示す

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軍装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 20:13 UTC 版)

軍服 (満洲国)」の記事における「軍装」の解説

江防艦隊水兵 江防艦隊下士官水兵

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軍装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 22:48 UTC 版)

迅衝隊」の記事における「軍装」の解説

板垣退助後年語るところによれば、将卒ともに軍装がまちまち一定せず、「フロックコートのような物を着た者や、伊賀袴陣羽織着た者があり、軍帽も、洋風鳥打帽の者や韮山笠の者がいた。そして多くの者が三尺はある長刀を腰に下げてたらしい迅衝隊は、土佐出発し高松城接収し京都入ったが、京都出発までにようやく筒袖法被揃った程度で、江戸開城して以降にやっと洋風の軍装が整ったらしい。板垣退助日光進軍した時のいでたちは、洋装軍服陣羽織着て地下足袋草鞋、頭には赤熊被り物をして日本刀下げた姿であったという。

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軍装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 08:18 UTC 版)

ケントゥリオ」の記事における「軍装」の解説

ケントゥリオの軍装は通常の軍団兵のものとは異なり際立っている。甲冑勲章飾られ常に磨かれ、剣は左脇に、そして足にはすねあて装着したケントゥリオの兜は独特な羽飾りがついており、敵からも味方からも戦列でその存在一際目立った。また軍団兵ロリカ・セグメンタタ着用しつつあった帝政においてもケントゥリオロリカ・ハマタ着用し続け指揮時には指揮棒持った甲冑着用していない時は、身分の印として一般軍団兵右前であったのに対し、腰のベルトにつけたプギオ短剣)を左前帯剣することになっていた。 ケントゥリオ歴史的再演フランスブルゴーニュ地方にて cf.兵士の軍装、右前帯剣している。

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軍装

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 06:30 UTC 版)

二本松少年隊」の記事における「軍装」の解説

隊士水野進(好之)によれば服装は以下の様なものであったという。 上衣呉絽または木綿筒袖であり、着丈短く膝までであった木滝三郎によれば視認性下げるため多く黒く染めていたという。その上から力紗羽織陣羽織羽織った。力紗羽織地質は絹呉絽アルパカ)であり、普通の羽織筒袖とし、背の縫い目半分ぐらい裂けたのである兵糧袋は呉絽であり、長円形の袋の前後に縁を付け、紐を通して屈伸自在として肩掛けとしていた。肩印の地質はは麻布で、長さ三寸、巾一寸五分ぐらい、中央丹羽氏の違棒紋を書き一方または竹を当て、その中央を紐で括り、左の肩先に結びつけた。 下衣一定せず洋袴股引義経袴、立付など様々であった帽子用いず白木綿鉢巻き締め、髪は髻を打ち糸で結び、背に下げた装備四斤山砲一門各自ミニエー銃所持していた。

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