ローマ医学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 05:59 UTC 版)
詳細は「en:Medicine in ancient Rome」、「en:Medical community of ancient Rome and Byzantine medicine」、および「ガレノス」を参照 古代ローマでは、ギリシャの医師が活躍し、ローマ帝国各地の医学・薬学が集大成された。ローマ帝国で活躍したギリシャ人のガレノスは、最も偉大な古代の医師のひとり、様々な学派を折衷してギリシャ医学をまとめた。ガレノスは、「血液・粘液、黄胆汁・黒胆汁」を基本体液とし、その調和を重視する四体液説を採用した。豚や猿などの動物を解剖して人体の構造を推測したが、心臓の構造など誤りも少なくなかった。またガレノスは、脳や目の外科手術など、技巧に頼った危険な手術を多く行った。こういった手術は2000年近くにわたって二度と行われなかった。 薬学については、ガレノスに先立ちディオスコリデスが、簡潔で利用しやすい本草書『薬物誌』をまとめた。アリストテレスの四元素説の影響を受け、薬物を「熱・冷・湿・乾」の4つの性質に分類して解説した。ガレノスは『薬物誌』を称賛し、製薬についても多くを述べた。 初の女性専用の器具をはじめとして、多くの手術用具が発明された。これには鉗子、メス、焼きごて、剪刀、手術針、ゾンデ、膣鏡などがある。また、初の白内障手術もローマ人によるものであるといわれる。 476年に西ローマ帝国が崩壊し、西ヨーロッパからギリシャ・ローマ医学の著作は失われた。東ローマ帝国に残され、オリバシウス(c. 320 – 403)などによって医学書が編纂された。彼はガレノス医学を高く評価し、ユリアヌス帝の命で、クロトンのアルクマイオン(紀元前5 - 6世紀頃)から同時代の医学までをまとめた『医学集成』(希:Iatrikai Synagogai、羅: Collectiones medicae)全70巻を編纂し、『エウスタティオスのための梗要』(希:Synopsis pros Eustathion、羅:Synopsis ad Eustathium filium)に概要をまとめた(初学者向けであるため外科は除く)。体液病理説であるため、診断には尿診(英語版)・脈診が重視されており、テオフィロス・プロトスパタリオス(英語版)(7世紀)は中国医学の影響を受けて脈拍を研究し、尿診の基礎を確立した。東ローマ帝国後期の14世紀初頭には、コンスタンティノポリスのヨハネス・アクトゥアリウス(英語版)は、尿と尿診など、広範囲のテーマに関する医学書を執筆した。これらの著作は、サーサーン朝ペルシャのジュンディーシャープールに、後にイスラーム世界に引き継がれた。 ガレノス医学とディオスコリデスの本草書は、1500年以上西洋で最も権威あるテキストとして君臨した。ガレノス医学は、東ローマ帝国でまとめられ、アラビアに伝わって翻訳され、イブン・スィーナーなどによってギリシャ・アラビア医学(ユナニ医学)として整理され発展した。ガレノスや彼らの著作は中世・近世にヨーロッパもたらされてラテン語に翻訳され、18世紀までヨーロッパの医学教育において教科書として使われていた。
※この「ローマ医学」の解説は、「医学史」の解説の一部です。
「ローマ医学」を含む「医学史」の記事については、「医学史」の概要を参照ください。
- ローマ医学のページへのリンク