ローマ問題とは? わかりやすく解説

ローマ問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/31 01:17 UTC 版)

ローマ問題(ローマもんだい、:Questione romana, :Roman Question)は、1861年から1929年にかけてのイタリア王国ローマ教皇庁の間におきた政治的な問題。




「ローマ問題」の続きの解説一覧

ローマ問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 08:22 UTC 版)

ジュゼッペ・ガリバルディ」の記事における「ローマ問題」の解説

詳細は「ローマ問題」を参照 このようなガリバルディ革命事業は、決し満足のいくものではなかった。“アルプス山脈からアドリア海までの完全な自由”という彼のモットーから見れば、まだローマヴェネツィアが未回収であったマッツィーニとて新たな支配的な政府に不満であったから、新共和国対す揺さぶり続けたガリバルディも王の怠惰に不満があり、冷遇苛立ってもいた。彼が教皇領奪回意図したのはこのときである。 教皇領奪回世界中カトリック教徒から不審の目で見られており、ナポレオン3世フランス軍ローマ駐留させることによって、教皇領イタリアから独立保証していた。1862年6月ガリバルディジェノヴァ出航し教皇領奪回のための義勇兵求めてパッラヴィチーノ(イタリア語版フランス語版)が県知事務めパレルモ上陸した熱狂的にイタリアの完全統一を望む者たちはすぐに彼の義勇軍加わりイタリア本土に向かうべくメッシーナへと向かった到着したときには彼は2000の兵を率いていたが、駐留軍は王の指示忠実に守って彼らの通過禁止した。そのため彼らは南に転進しカターニアから出航したガリバルディはここで「勝者としてローマ入城するか、あるいはその壁の前に倒れるかのどちらかだ」と宣言したという。 8月14日にはメーリトに上陸し一時カラブリア山々占領したアスプロモンテの戦い)。イタリア政府のウルバーノ・ラッタッツィ(イタリア語版英語版首相は、この行動支援することはもとより承認さえもしなかった。チャルディーニ(イタリア語版英語版将軍義勇軍対し、パッラヴィチーニ(イタリア語版フランス語版大佐師団派遣し両軍8月28日対峙した。王国軍1人発砲し立て続け一斉射撃義勇軍襲ったガリバルディ義勇兵たちに反撃禁止したことから戦闘はすぐに終結し負傷したガリバルディを含む多く義勇兵捕虜となった政府汽船連行されガリバルディは、名誉ある囚人として収監され、退屈と傷を治すための手術を強要された。彼の軍事行動失敗終わった。しかし彼の人気は衰えことはなかった。傷が治り健康が回復すると、カプレーラ島帰ることも許された。

※この「ローマ問題」の解説は、「ジュゼッペ・ガリバルディ」の解説の一部です。
「ローマ問題」を含む「ジュゼッペ・ガリバルディ」の記事については、「ジュゼッペ・ガリバルディ」の概要を参照ください。


ローマ問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 08:39 UTC 版)

イタリア統一運動」の記事における「ローマ問題」の解説

詳細は「ローマ問題」を参照 イタリア王国によるローマ併合によって俗界権力失った教皇ピウス9世は自らをバチカンの囚人英語版)(prigioniero del Vaticano)と呼び対決姿勢を崩さなかった。1871年5月イタリア政府教皇保障法(英語版)(Legge delle Guarentigie) を制定し教皇地位保証年金支給、そしてチッタ・レオニーナ(英語版)(現在のバチカン市国地域)における教皇庁統治独立一方的に定めた。これに対し教皇ピウス9世即座に拒絶回勅発する1874年には、「ノン・エクスペディト(英語版)」(ふさわしくないNon Expedit)を宣言しイタリア全てのカトリック教徒対し国政選挙への立候補投票禁じた教皇断絶したイタリア政府だが、利益もあり、教皇配慮することなくイタリア全土に対して修道院宗教団体廃止法を施行することができ、教会土地没収し売却益得た。もっとも、これらの土地地主層購入され農民配分されることはなかった。教皇庁イタリア王国との断絶は、1929年教皇庁ファシスト政権との間にラテラノ条約締結されるまで50年上続くことになる。

※この「ローマ問題」の解説は、「イタリア統一運動」の解説の一部です。
「ローマ問題」を含む「イタリア統一運動」の記事については、「イタリア統一運動」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ローマ問題」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ローマ問題」の関連用語

ローマ問題のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ローマ問題のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのローマ問題 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのジュゼッペ・ガリバルディ (改訂履歴)、イタリア統一運動 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS