ギリシャ医学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 05:59 UTC 版)
詳細は「古代ギリシア医学 (ガレノス以前)」、「ヒポクラテス」、および「四体液説」を参照 古代ギリシャの医学は、バビロニア・エジプトの医学の伝統に大きな影響を受けた。病因について様々な考え方があったが、他の地域と同じく、体液の均衡を重んじる医学(体液病理説)が重視された。体にある数種類の体液のバランスがとれていれば健康で、崩れれば病気になると考えられた(四体液説)ため、体液のバランスを整えることで治療が試みられた。古代ギリシャ医学で有名なのはコス島のヒポクラテスで、呪術性を排した経験医学の嚆矢であるとされ、「医学の父」と呼ばれる。ギリシャ医学は、後に「ヒポクラテス全集(英語版)」としてヒポクラテスの名で纏められた。これには70編あまりの論文が収録されているが、ヒポクラテスが属したコス派だけでなく、ライバルのクニドス派の論文も収められた。ヒポクラテスの最も有名な文書は、医療倫理・任務などについての宣誓文「ヒポクラテスの誓い」である。後世の作と言われるが、これは現代においても意義があり、また有用である。 ヒポクラテスとその弟子は、多くの病気や医学上の状態の記述を残した。肺癌などの慢性肺疾患や、チアノーゼ性心疾患の兆候であるばち指を最初に記述したとされる。このため、ばち指はヒポクラテス指(Hippocratic fingers)と呼ばれることもある。ヒポクラテスは「予後」の中で、ヒポクラテス顔(Hippocratic face 死相のこと)について記しており、シェイクスピアが『ヘンリー五世』の第2幕第3場で、フォルスタッフの死についてこの表現を使ったことで有名である。 ヒポクラテスは、急性・慢性・風土病・伝染病の疾病分類を作り、また悪化・再発・危篤・発作・峠・回復期などの用語法を作った。この他には主に、兆候学・生理学上の発見、外科手術、膿胸(胸腔内に膿がたまる症状)の予後などの貢献がある。ヒポクラテスの教えは今日の呼吸器科の研究者に対しても有効である。ヒポクラテスは記録上最初の胸部外科医で、その発見は現在でも有効である。
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