ギリシャ北西部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:00 UTC 版)
この地ではテーバイが最有力であり、テーバイを中心として文化、方言、宗教などを同じくしたポリスでボイオティア連邦を形成していた。テッサリアでは気候や土地に恵まれ、豊かな農耕や牧畜なども行われており、マケドニア、トラキアでも同様な状態であった。テッサリアでは「テッサロイ」と自称する人々がギリシャ人と融合し、「テッサリア人」と化し、ゆるい連邦制であるエトノスを形成していた。マケドニアでは史料が少なく、研究が進んでいない。トラキアでは王国が成立していたと考えられている。エペイロスでは移動性の牧畜が行われており、マケドニアと似た歴史をたどっており『イリアス』におけるドドネ神域以外には文献が存在せず、古典期に至るまで後進地域であり、前5世紀に至ってエトノスが形成されるようになった。
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