ギリシャ人以前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 14:07 UTC 版)
「レッジョ・ディ・カラブリア」の記事における「ギリシャ人以前」の解説
レッジョの起源は、神話として伝えられるところと、考古学的に点景されるところとを合わせ、以下のように考えられている。紀元前3千年紀後半から紀元前8世紀にかけて、この地にはオピキ人あるいはオスキ人 (Osci) と呼ばれる人々が暮らしており、またオイノトリア人 (Oenotrians) 、フェニキア人、ミケーネ人、アウソニ人 (Ausones) 、シチリア人、モルゲティ人 (it:Morgeti) 、イタリ人 (it:Itali) なども生活していた。紀元前15世紀にこの地に Léarchos という彫刻家がいたこと、紀元前13世紀初めにイオカストスという伝説的な王がいたことが知られている。 この地には、紀元前8世紀のギリシャ人入植以前に、エリュトラ(Ερυθρά / Erythrà)と呼ばれる、より古い都市があった。「赤」を意味するエリュトラの建設は紀元前3千年紀にさかのぼり、おそらくはアウソニ人によって築かれた。アウソニ人の最後の支配者はイタルス王(Italus)で、「イタリア」という名称は彼から名づけられた。 現在のレッジョ周辺の地域はサトゥルニア(Saturnia)と呼ばれ、のちにイタリア(Italia)と呼ばれた。のちのローマ時代、「イタリア」という名称は半島全域を指して使われるようになったが、この時代には現在のカラブリア州南部、のちにブルジウム(Bruzium)と呼ばれることになる限られた地域のみを指していた。イオカストス王は、プンタ・カラミッツィ (it:Punta Calamizzi) の岬の先端(のちにパランティオン Pallantiòn と呼ばれる)に葬られた。
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