ギリシャ・ローマ時代
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「ティアナ (古代都市)」の記事における「ギリシャ・ローマ時代」の解説
ギリシャ神話では、この都市はトラキア王トアースが設立したとされ、はじめトアナとよばれ、カッパドキアのキリキアの門の近くトロス山脈のふもとに位置したとされる。 クセノポンは『アナバシス』にて、ダナの名の下、大きく豊かな都市であると言及した。この周辺に広がる野は、のちにはティア二ティスとして知られるようになった。 紀元前1世紀頃の哲学者である(聖人、神の一柱あるいは魔術師とも)ティアナのアポロニウス(英語版)の出生地としてもしられる。オウィディウスは『変身物語』にてこの周辺をバウキスとピレーモーンの物語の舞台とした。 ストラボンの記述によれば、この都市は「タウルスのエウセベイア」としても知られていた。ローマ皇帝カラカラの治下、都市はアントニアナ・コロニア・ティアナ (Antoniana colonia Tyana)となった。都市はパルミラ帝国のゼノビアに味方したのち、 272年にアウレリアヌスによって占領された。この時、アウレリアヌスは配下の兵士たちに略奪を許さなかった。伝えられるところによれば、このときティアナのアポロニウスがアウレリアヌスの元にあらわれ、安全を懇願したためと言われる。
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ギリシャ・ローマ時代
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この地域の州都となったヘルモポリスはトート神への礼拝の中心地だった。パルテノン神殿に似たギリシャ寺院の遺跡が現在まで残っている。 現代のトゥナ・アル=ジェベル(英語版)村の近くでは、ペトジリス(英語版)の墓所と礼拝堂が発掘されている。 130年、ローマ帝国のハドリアヌス帝が愛人(男性)のアンティノウスに因んでアンティノポリス(英語版)を建設した。 328年、コンスタンティヌス1世の母の聖ヘレナが、「ジェベル・エル・テイルの処女メアリーの修道院」を現代のサマルト市近郊に建設した。修道院は聖家族がエジプトへの逃避(英語版)の際に住んでいたとされる場所の一つに建てられていた。 現在のミニヤー県に位置するオクシリンコスはヘレニズム時代に行政の中心だった。現在ではビザンティン期エジプトのパピルスの出土地として考古学的に重要な遺跡である。
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