各中隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 20:46 UTC 版)
1941年10月、LRDGは既存の巡視隊を2分された巡視分隊とするという単純なやり方で、10の巡視隊にまで拡充された。ニュージーランド軍人員は「R1」「R2」「T1」「T2」からなるA中隊を編成し、イギリス軍・ローデシア軍人員は「G1」「G2」「S1」「S2」「Y1」「Y2」からなるB中隊を編成した。「H」巡視隊は1941年9月、3か月の任務の後に解散となっていた。 これら2個中隊に1941年12月、いずれも第3インド自動化旅団(英語版)の傘下であった第2槍騎兵連隊(英語版)、第11騎馬連隊(英語版)、第18騎馬連隊(英語版)からの志願者で構成されたインド長距離中隊(英語版)が加わった。インド人中隊は民族的・宗教的観点で組織化されており、最初の2個巡視隊は元々、「J」(ジャート)と「R」(ラージプート)として知られていた。これらの呼称は混乱を避けるため、「I1」「I2」に変更された。1942年10月、さらなるインド人巡視隊が編成された。「M」(ムスリム)と「S」(シーク)巡視隊であり、それらが「I3」「I4」巡視隊となった。「ポプスキー私兵団」と綽名された、ウラジミール・"ポプスキー"・ペニアコフ少佐が指揮する第1破壊中隊が、1942年12月から始まって、一時的にLRDGへ参加していた。 各巡視隊の車両が、それぞれの標章を用いていた。ニュージーランドの「R」巡視隊は赤い舌を持つ緑のヘイティーキ(英語版)(マオリの首飾り)を車輛ボンネットの右側に、そして左側にはRで始まるマオリ語の地名(例えば、「ロトワロ(英語版)」(Rotowaro))を用いた。「T」巡視隊の車両は緑の「芝」の上に黒のキーウィ鳥、そして「Te」で始まるマオリ語の名称(例えば、「テ・アナウ(英語版)」(Te Anau))を類似の場所に用いた。「W」巡視隊の車両は「W」で始まるマオリ語の名称や単語を書き込んでいた。 イギリスの「G」巡視隊車両は特別の標章を付けていなかったものの、数台の車両は近衛兵連隊の記章を用いていた。「W」巡視隊が解散すると、彼らは当部隊の車両を引き継いだ。「Y」巡視隊の車両はやや異なっていた。「Y1」巡視分隊の車両はどれも高名な酒の製造業者の名称(「コッコー・ザ・ノース(英語版)」など)を、そして「Y2」巡視分隊の車両は「三銃士」からの名称(例えば「アラミス」)を、車輛ボンネット部分の左側に用いていた。司令部門は四角形の中に配列された文字列を用いた(「車輛」の写真を参考のこと)。ローデシアの「S」巡視隊は、ローデシアと繋がりのある名称(「ソールズベリー」など)を車輛ボンネット部分の左側に用いた。1943年には、補充された車輛に名を付ける慣例が廃止された。
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