巡視隊とは? わかりやすく解説

巡視隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 23:44 UTC 版)

長距離砂漠挺身隊」の記事における「巡視隊」の解説

長距離巡視隊は、バグノルドが指揮執る15からなる司令部含んでいた。3つの傘下部隊存在した「R」巡視隊はドナルド・ギャヴィン・スティール大尉指揮した。「T」巡視隊はパトリック・クレイトン大尉、「W」巡視隊はエドワード・"テディ"・セシル・ミットフォード(英語版大尉指揮した。「T」と「W」の巡視隊が戦闘部隊で、「R」巡視隊は援護用に充てられていた。 1940年11月長距離巡視隊は再編成され長距離砂漠挺身隊再命名された。6つの巡視隊にまで拡充がなされ、「T」「W」「R」に「G」「S」「Y」巡視隊が加わったそれぞれの巡視隊が同じ連隊集団属す予定であったが、近衛兵旅団(Guards)や義勇騎兵団(Yeomanry)のみがそれぞれに「G」「Y」と、独自の巡視隊を編成した。「G」巡視隊はコールドストリーム近衛連隊第3大隊スコットランド護衛連隊第2大隊からの人員で、マイケル・クライトン・スチュワート大尉指揮した。「Y」巡視隊はノッティンガムシャー義勇騎兵団(英語版)[要出典]からの人員P・J・D・マクライス大尉指揮し、ロイヤル・ノーサンバランド・フュージリア連隊英語版)やアーガイル・アンド・サザーランド高地連隊英語版)からの人員加わっていた。1940年12月に「W」巡視隊は解散となり、その隊の人員「R」と「T」巡視隊の定員満たすために用いられ、「G」巡視隊がその車輛受け継いだ1941年6月には、LRDGは2個中隊に再編されていた。ニュージーランド人ローデシア人の「A」中隊が「S」「T」「R」巡視隊を備え、「B」中隊が「G」「H」「Y」を備えた司令部部門軍事通信測量軽微補修英語版)の各部門もまた存在した。重車輛部門は、当初は4台のマーモン・ヘリントン製6トン・トラックを装備しており、各根拠地補給物資輸送し、あらかじめ定められた場所へ秘密裏補給地点構築することで、兵站支援提供するべく用いられた。加えて航空部門があり、ウェイコ(英語版)・ZGC-7(英語版)やYKCといった複葉機用いて重要人物輸送し負傷者退避させ、他の連絡任務こなした1941年8月には砲兵部隊が、イタリア軍要塞をより効果的に攻撃する目的編成された。当初QF・4.5インチ榴弾砲マック10トンNR 4トラック積載し同道する軽戦車装甲観測場(英語版)として用いていた。しかし、これらはクフラ(英語版)の自由フランス軍引き渡された。次いで部隊25ポンド積載砲を支給された。この砲を用いて、LRDGはエル・グタフィアの要塞攻撃し占拠する成功収めたが、後にトラック放棄されざるを得なくなり実験的な試み終了した

※この「巡視隊」の解説は、「長距離砂漠挺身隊」の解説の一部です。
「巡視隊」を含む「長距離砂漠挺身隊」の記事については、「長距離砂漠挺身隊」の概要を参照ください。

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