ジョヴァンナ2世 (ナポリ女王)とは? わかりやすく解説

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ジョヴァンナ2世 (ナポリ女王)

(ジョヴァンナ2世 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/22 14:30 UTC 版)

ジョヴァンナ2世
Giovanna II
ナポリ女王
ジョヴァンナ2世と2度目の夫ジャック2世
在位 1414年 - 1435年

出生 1373年6月23日
ヴェネツィア共和国ザダルダルマチア
死去 1435年2月2日
ナポリ王国ナポリ
埋葬 ナポリ王国ナポリ、サンティッシマ・アンヌンツァータ・マッジョーレ聖堂
配偶者 オーストリア公ヴィルヘルム
  ラ・マルシュ伯ジャック2世
家名 アンジュー=ドゥラッツォ家
王朝 ナポリ・アンジュー朝
父親 カルロ3世
母親 マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォ
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ジョヴァンナ2世

ジョヴァンナ2世(Giovanna II, 1373年6月23日 - 1435年2月2日)は、アンジュー=ドゥラッツォ家ナポリ女王(在位:1414年 - 1435年)。名目上はエルサレムシチリアハンガリーの女王でもあり、また王位継承以前にはオーストリア公妃でもあった(ドイツ語名はヨハンナ・フォン・アニョウ=ドゥラッツォ Johanna von Anjou-Durazzo)。

生涯

ダルマチアザダルで、ハンガリー王を兼ねたカルロ3世マルゲリータ・ディ・ドゥラッツォの間に生まれた。1414年、正嫡の子をもうけずに死去した弟ラディズラーオの王位を41歳で継承した。

王位継承以前に内オーストリア公ヴィルヘルムと結婚したが1406年に死別し、即位後の1415年にブルボン家傍系(ただし後にフランス王家となる家系には近い)のラ・マルシュ伯ジャック2世と結婚した。いずれの結婚でも子は得られなかった。

ローマ教会大分裂で混乱に陥っていた隙にラディズラーオが占領していたが、コンスタンツ公会議で教会大分裂も終息、新たに選出されたローマ教皇マルティヌス5世はローマ入りを望みナポリと交渉、ジョヴァンナ2世もローマ返還を受け入れて1419年10月に教皇の代理人の手によりジョヴァンナ2世のナポリ王戴冠式が挙行、マルティヌス5世は1420年にローマ入りを果たした[1]

しかし、後継者がいなかったジョヴァンナ2世は1421年アラゴンアルフォンソ5世を養子とし、アルフォンソ5世はナポリに入ったが、ジョヴァンナ2世は翌1422年に継承者をフランスアンジュー公ルイ3世・ダンジューに変更した[2]1434年にルイ3世が子供の無いまま死ぬと後継者を弟のルネ・ダンジューに変更、翌1435年にジョヴァンナ2世が死去した後ルネ・ダンジューがナポリ王となったが、アルフォンソ5世はナポリ攻撃を開始し、7年後の1442年6月12日にルネを追い出しナポリ入城を果たした[3]

脚注

  1. ^ 瀬原、P412 - P413。
  2. ^ 澤井、P87、北原、P214、瀬原、P413。
  3. ^ 澤井、P87 - P88、北原、P214、P217、瀬原、P413 - P414。

参考文献

関連項目

先代
ラディズラーオ1世
ナポリ女王
1414年 - 1435年
次代
レナート1世



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