地中海諸国の遠征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/08 02:58 UTC 版)
「アルフォンソ5世 (アラゴン王)」の記事における「地中海諸国の遠征」の解説
アルフォンソ5世は貴族対中小商人・職人、ラメンサと呼ばれる農民の一揆で動揺しているアラゴン国内に背を向け、即位後はたびたび地中海諸国、特にイタリアへの遠征を行い、ジェノヴァ共和国とのサルデーニャ島やコルシカ島を巡る抗争(1420年)やナポリ王国の獲得に執心した。また、宗教問題にも関わっており、対立教皇ベネディクトゥス13世を1423年にペニスコラ城で亡くなるまで保護、続いて即位したクレメンス8世を側近のアルフォンソ・デ・ボルハ(後のローマ教皇カリストゥス3世)の働きで1429年に退位させた。 初めは地中海の覇権やアフリカ、大西洋貿易を巡りカタルーニャ(アラゴン連合王国の構成国)と激しく対立するジェノヴァの排除を狙った政策だったが、1421年には嗣子のいないナポリ女王ジョヴァンナ2世から王位継承者に一旦指名され、この時からナポリ王位を志向するようになる。ところが、ほどなくジョヴァンナ2世は変心して、アンジュー公兼プロヴァンス伯ルイ3世を後継者に指名、排除されたアルフォンソ5世はやむなくアラゴンへ帰国した。戻ってからはカスティーリャへの干渉を再開したが、アラゴン議会が軍事費がかかり過ぎることを理由に反対したため、1430年にカスティーリャと休戦協定を結びこちらも断念した。
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