地中海説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/25 14:53 UTC 版)
過去100年近く、著名な歴史家や考古学者たちは、プラトンのアトランティスは、紀元前1525年頃にあったエーゲ海の小島ティラ島の火山噴火に想を得たものではないかと考えてきた。ティラ島をアトランティスがあった場所と考える人は最も多い。他に、小アジアのスミルナ近郊のトロイアが着想の基であるという説もある。 サントリーニ島の火山噴火説もある。サントリーニ島は阿蘇山のような巨大なカルデラの島であり、その噴火による津波によって滅んだミノア王国(ミノア文明)をアトランティスとする。アトランティスに比べて国家としての規模が小さすぎることから文明消失のモデルとはなりえないとの否定的意見もあるが、規模と年代、及び位置についてはプラトンの誇張としている。 誇張説とは、プラトンの記録が単位について全て1桁多く誤って記述しているとするもので、エジプトの司祭が100をあらわす象形文字と1000をあらわす象形文字を誤って記録したためという。支持者は、年代はプラトンの9000年前でなく900年前ならほぼ一致するし、アトランティスの大きさも記録の10分の1であれば納得できるとしている。 この場合、ガラノプロスはアトランティス伝説に登場する「ヘラクレスの柱」が、ジブラルタル海峡を指すのではなく、現在のギリシャ南部にあるマタパン岬であると見ている。ガラノプロスはプラトンがアトランティスを青銅器文明だと述べているといい、ミノア文明が青銅器文明であることに合致するという。また、クノッソス宮殿遺跡から牡牛の絵画や造形物が多数発掘されたことから、ミノア王国においては牡牛が力の象徴として崇められていたと考えられているが、これはアトランティスに牡牛崇拝があったというプラトンの記述と一致するとしている。
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