プラトンのアトランティス
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「アトランティス」の記事における「プラトンのアトランティス」の解説
プラトンの『ティマイオス』と『クリティアス』によると、アトランティス島はジブラルタル海峡のすぐ外側、大西洋にある、当時ギリシャ人が最大の島と考えていたキプロス島よりも大きい、非常に広い島だった。アトランティス島は資源の宝庫で、必要な物質の大半を島で補うことができ、農産物も豊富で、畜産も盛んだった。そこにあった帝国は、大西洋を中心に地中海西部を含んだ広大な領土を支配していた。当時存在した国と考えれば、アトランティスで特筆すべき点は、領土の規模の大きさである。語られた技術や素材から、青銅器文明に属していた。84万の兵と1万台の戦車、1200隻の軍艦と24万人の乗組員を動員することができたとされ、青銅器時代の国家としては突出した軍事力を持っていたことになる。彼らがこれほどの富と力を持っていたのは、王家がポセイドンの末裔であったからだとされる。 しかし、ポセイドンの子孫と人間が混じるにつれ、神性は失われていき、アトランティス人は物質主義に走り、さらなる富と領土を求め、暮らしは荒廃した。これを見たゼウスは神々を集め、アトランティスにどのような罰を下すか話し合い、帝国の敗北と島の破壊を決めた。帝国は紀元前9400年頃に地中海沿岸部に征服戦争を仕掛け、アテナイ人は近隣諸国と連合して抵抗し、激しい戦闘になり、アテナイ軍はからくも勝利し、地中海西岸をアトランティス人の支配から解放した。 直後に、大地震と洪水によって一昼夜のうちにアトランティス島は海底に沈み、これらの災害はアテナイ軍にも大きな被害を与えた。島が陥没してできた泥土が航行の妨げになったという描写から、島が沈んだのはさほど深くない場所だと考えられる。
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