地中海西部
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ムーア人がアンダルスに錫釉陶器の技法をもたらし、この地で金属釉の技法が完成した。アンダルスのそうした陶器は一部はバレアレス諸島経由で、一部は直接イタリアに輸出された。 マヨリカ焼きの名はマヨルカ島に由来し、そこが中世スペインのアラゴン王国からイタリアへの錫釉陶器輸出の経由地だったことに由来する。その多くはムーア人が生産していた。 イタリアでも14世紀ごろから錫釉陶器が生産され始め、15世紀末から16世紀初頭にピークを迎えた。このイタリア製ファイアンス焼きもマヨリカ焼きと呼ばれている。「ファイアンス」という呼称はラヴェンナ近郊のロマーニャ地方にあるファエンツァのフランス語名であり、その地で白地のマヨリカ焼きが15世紀初めから輸出用に生産されていた。
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地中海西部
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「イーグル (空母・初代)」の記事における「地中海西部」の解説
1942年(昭和17年)1月上旬、イーグルの修理と対空火力増強が完了した。2月下旬、本艦はジブラルタルを拠点とするイギリス海軍H部隊 (Force H) に配備される。当時のマルタ(英語版)はドイツ空軍とイタリア王立空軍の猛攻により孤立状態となって物資不足に悩まされ、連合国軍は犠牲を払いながら増援輸送船団(英語版)を送り込んでいた。またマルタの航空兵力も枯渇寸前であり、航空母艦を活用したクラブラン (Club Run) で戦闘機を補充していた。イーグルは複数のクラブランに従事している。 最初に成功したイーグルの“ クラブラン ”は3月7日のスポッター作戦 (Operation Spotter II) で、スピットファイア (Supermarine Spitfire) 15機をマルタに送り届けた。だが数日のうちに消耗してしまったという。また5月に実施されたバウリー作戦(英語版)は、アメリカ海軍の空母ワスプ (USS Wasp, CV-7) との共同作戦であった。空母2隻からスピットファイア64機が発進し、4機が事故喪失、1機が空母へ引返し、59機がマルタに進出した。 次いで同年8月のペデスタル作戦にも参加し、マルタ島への輸送船団護衛任務中の8月11日、アルジェ北方沖(マルタから550海浬ほど)でドイツ潜水艦U73(英語版、ドイツ語版)から雷撃される。U73は魚雷4本を発射、このうち3本がイーグルの左舷機関区に命中した。被雷から8分後、イーグルは転覆して沈没した (第二次世界大戦の地中海におけるUボート作戦) 。
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