地中海艦隊での勤務とは? わかりやすく解説

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地中海艦隊での勤務

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 18:07 UTC 版)

パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)」の記事における「地中海艦隊での勤務」の解説

1892年から1893年にかけての冬、「パーミャチ・アゾーヴァ」では過積載による劣化と、1890年性急な出港関係する手落ち箇所修正作業が行われた。この際、チュフニーン艦長過載軽減のため帆装廃して軽量マスト換装するよう海軍技術委員会要求したが、委員会認めなかった。 1893年には、アメリカ合衆国開催されるコロンブスによるアメリカ大陸の発見 400 周年祝す国際観艦式参加するため、ロシア帝国海軍からも艦船同国派遣されることになった。しかし、「パーミャチ・アゾーヴァ」修理ロシア語版)が出航準備期日4月1日までに完了しないことは、すでに1月11日時点で明白であったアメリカ合衆国へは、5月21日1 等巡洋艦ナヒーモフ提督」が、5月30日艦隊装甲艦インペラートル・ニコライ1世」が出航した式典開催される4月13日までにニューヨークへ到着したロシア艦は、1 等巡洋艦ドミートリー・ドンスコイ」と「ゲネラール=アドミラール」、「ルィーンダ」だけであったその頃「パーミャチ・アゾーヴァ」ではクロンシュタット港とバルト工場全力挙げて修理作業進めていたが、修理期日までに完了しなかった。特に、過積載軽減工事難航した。 まだ工事完了せず、また訪米中の「ナヒーモフ提督」や「インペラートル・ニコライ1世」がまだニューヨークにあった7月7日海軍省「パーミャチ・アゾーヴァ」バルト艦隊地中海艦隊旗艦任命する決定下した地中海艦隊は、1891年クロンシュタット訪れたアルフレッド・ジェルヴェ(フランス語版海軍少将麾下フランス艦隊への返礼として、F・K・アヴェラーン(ロシア語版海軍少将の旗の下、トゥーロン訪れることになっていた。このため「パーミャチ・アゾーヴァ」8月10日までにはカディス到着する必要があり、そこで訪米から戻った巡洋艦ナヒーモフ提督」および「ルィーンダ」、装甲艦インペラートル・ニコライ1世」と合流することになっていた。なお、「ドミートリー・ドンスコイ」は大西洋艦隊司令官 N・I・カズナコーフ(ロシア語版海軍中将乗せてクロンシュタットへ戻ることになっており、「ゲネラール=アドミラール」は大西洋で実習航海従事することになっていた。地中海艦隊には、それらのほかに黒海艦隊砲艦「テーレク」がピレウスから加わることになっていた。 ところが、「パーミャチ・アゾーヴァ」クロンシュタット発ったのはようやく8月21日のことであった。その上その時点で修理工事はまだ完了していなかった。艦隊は、地中海各々集まり始めた。「インペラートル・ニコライ1世」と「ルィーンダ」は、別行動カディスからトゥーロン直行した一方、「ナヒーモフ提督」は9月28日カルタヘナ出航しバルセロナで彼を待つ艦隊合流しようとした。ところが、「ナヒーモフ提督」は「パーミャチ・アゾーヴァ」後ろ合流すべきところであったのを、信号不明瞭であったために「ルィーンダ」がそこに残ってしまったがために、「インペラートル・ニコライ1世」の後ろ入ろうとした。不規則な行動取ったことで、「ナヒーモフ提督」は前を走っていた「パーミャチ・アゾーヴァ」すんでのところで体当たりしてしまいそうになった。「ナヒーモフ提督」は「パーミャチ・アゾーヴァ」衝角突き刺すところであり、そうなれば「パーミャチ・アゾーヴァ」沈没もしかねなかったが、「パーミャチ・アゾーヴァ」のチュフニーン艦長的確な行動によって、衝突軽度接触僅かな損傷ですんだ。 トゥーロンでの式典成功裏進められた。フランスロシア同盟関係進められ、翌1894年露仏同盟という形で完成する将校らには、シャム日本におけるのと同様、勲章降り注いだまた、この訪仏の際にフランス海軍艦隊装甲艦「ジョーレギベリ」の進水式催され、これに触発されロシア帝国海軍はのちにフランス製の艦隊装甲艦ツェサレーヴィチ」を発注することになる。 フランスへ親善訪問終えた地中海艦隊は、いつもの駐留地であるギリシャピレウス港に戻った艦隊ここから地中海沿岸諸港を巡航しそれ以外の期間は歴史的に名高いサラミス島の湾やポロス島投錨地(英語版)で日常的な軍事教練艦船演習取り組んでいた。 当時ポロス島にはナヴァリノの海戦使用され基地遺構残されており、戦列艦「アゾーフ」の足跡偲ぶことができた。「パーミャチ・アゾーヴァ」乗員らは、この遺跡修復した当時ロシアギリシャの関係はロシア出身王妃お蔭もあってたいへん良好であった地中海艦隊乗員らは、砲艦「ドネーツ」や装甲艦インペラートル・ニコライ1世」の乗員らが中心となってポロス島ロシア船員らのための居住区建設した「パーミャチ・アゾーヴァ」は、この任務1894年度まで続けたその間、艦はまったく平和で幸福な時代過ごしたのである

※この「地中海艦隊での勤務」の解説は、「パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)」の解説の一部です。
「地中海艦隊での勤務」を含む「パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)」の記事については、「パーミャチ・アゾーヴァ (装甲巡洋艦)」の概要を参照ください。

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