プラトンとアリストテレスの解釈
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:41 UTC 版)
「ヴェルナー・イェーガー」の記事における「プラトンとアリストテレスの解釈」の解説
プラトンとアリストテレスの解釈史に関するイェーガーの立ち位置について、ジョンズ・ホプキンズ大学のハロルド・F・チャーニス(英語版)が明確に要約している。プラトンとアリストテレスの解釈史は、おおまかに言って、下記に示す立場のどれかを支持していると考えられる。(a)アリストテレスはプラトンの初期対話篇・著作に共感し、受容した。(b)アリストテレスはプラトンの後期対話篇・著作に共感し、受容した。(c)先の2つの立場を様々に組み合わせた立場。チャーニスは次のように述べている。「ヴェルナー・イェーガーの見た限りでは、プラトンの哲学は『質料(matter)』なのであり、そこから新しく高度なアリストテレスの思考という形相(form)が生まれ、徐々にではあるが確実かつ着実に発展していったとされる(『Aristoteles』, p. 11)。この解釈は、アリストテレスのプラトン理解が「絶対的無理解(absolut verstandnislos)」だったのかどうかという「古い論争(old controversy)」を呼び起こすものである。だが、このことは、アリストテレス独自の思考パターンが、ある特定のプラトン理解と不整合である、というライゼガングによる再主張を妨げるものではなかった」。ここでチャーニスは、イェーガーとライゼガングが反対の立場にあり、ライゼガングはプラトンとアリストテレスを上記(a)もしくは(b)の立場によって調停する可能性があることについて共感的ではなかったと考えている。
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