プラトンとアリストテレスの調和
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「キリキアのシンプリキオス」の記事における「プラトンとアリストテレスの調和」の解説
「私が信じるところでは、よき注解者は哲学者たちの文字の上での差異を重大視するのではなく、その精神を見て、大部分においてそれらを支配している調和の点をこそ追求するべきである」 『カテゴリー論注解』序文における彼の言葉は、アリストテレスとプラトンとの調和(シュンフォーニアー)が、注解者としてのシンプリキオスにとって最優先事項の一つであることを示している。後期ネオ・プラトニズムの枠組みのなかではシンプリキオスはシュリアノスやプロクロスと区別される。後二者はアリストテレスを批判することにより明確に論争的である。一方、プラトン的伝統の歴史の中では調和化する豊かな系統があることも事実であり、ポルフュリオスやアンモニオス・ヘルメイウによって始められた系列の中にシンプリキオスもおり、ヒエロクレスやオリンピオドロスらによってアレクサンドリアで続けられた。 この調和させようとするシンプリキオスの熱意は、ネオ・プラトニスト達の反キリスト教の態度や、キリスト教徒の哲学者ピロポノスに対する論争の流れで見られるべきである。キリスト教が国家宗教となった後、彼等が自分たちの儀式を教え、実践することはますます困難になり、529年のユスティニアヌスの布告によって最高潮に達した。キリスト教徒側は早い時代よりギリシャの哲学者の説は互いに矛盾し、統一的な知的伝統を持たないと非難してきた。ピロポノスはギリシャ的伝統を内部から批判することができ、またそれに関するテキストについて優れた知識を持っていたことによって危険であった。ピロポノスは哲学説の調和について反対し、その一般的議論は有効ではないと主張した。彼はそれを作り話(ミュトス)とさえ呼び、もしそれが真実ならアリストテレスはそのように明示的に語っただろうと付け加えた。 ギリシャの伝統を統合するいうアンモニオスやシンプリキオスのアプローチの他に、別の系統があったことも忘れてはならない。『天体論注解』でアリストテレスに対して敵対的な解説者に言及しており、シュリアノスやプロクロスを念頭においていたと思われる。シンプリキオスはこのような批判に対して、ピロポノスからの批判よりもはるかに繊細に対処しなければならなかった。プロクロスはアリストテレスの語る“動かされない始動者”をアゴノス(非生産)と呼び批判した。しかし、彼の弟子アンモニオス(つまりシンプリキオスの師)は、“動かされない始動者”は窮極的かつ有能の原因であると上手く論じた。これは『ティマイオス』における“デーミウルーゴス”と『形而上学』Λ巻における“自己思惟のヌース”を組み合わせる重要なステップとなった。シンプリキオスはこの革新的な見解を歓迎し、彼の同意を以て『自然学註解』で引用している。
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