遺跡の保存と活用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:24 UTC 版)
ソ連崩壊後のタタールスタン共和国において、ボルガル遺跡の積極的な保存と修復を行なってきたのが、初代大統領だったミンチメル・シャイミーエフである。彼はロシア政府を通じ、1998年にカザン・クレムリン、ボルガル遺跡、スヴィヤジシクを世界遺産推薦した(この点、後述)。ボルガル遺跡とスヴィヤジシクの世界遺産登録は見送られたが、シャイミーエフは大統領を退いて共和国顧問となった後、2010年にタタールスタン共和国歴史文化遺産復興財団を創設している。この財団の目的の一つにはボルガル遺跡の保存、修復のみならず、観光地としての再開発も掲げられており、実際、博物館、大駐車場、大催事場などの整備が進められた。また、共和国レベルのプロジェクトも進行し、ロシア連邦政府もこれに協力している。 こうした動きの中でバトゥの時代の宮殿跡も出土するなど、考古学的進展が見られる一方、タタールスタン共和国のイデオロギーのシンボルとされることや観光地化に対しては、共和国内の知識人らには批判的な意見も見られる。シャイミーエフらは共和国の分断ではなく共生を強調するが、ボルガル遺跡を強くアピールすることは、現代のタタールをヴォルガ・ブルガールとジョチ・ウルスのいずれとより強く結びつく存在と位置づけるのかという問題に結びつきうるからである。また、ヴォルガ・ブルガール以来の伝統を強調することに対しては、ボルガル遺跡に現存する主要な建造物群がもっぱらジョチ・ウルス時代のものであるという批判もある。さらに、「聖ボルガルの集い」の成功に対しても、その宗教性よりも露店などの商業性が目立つことについて批判が見られる。
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