内部構造と築造時期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 04:49 UTC 版)
1972年(昭和47年)に内部構造の確認のため、後円部で発掘調査が行われており、墳丘には葺石(ふきいし)があり、埴輪が立てられており、後円部中央で粘土で覆われた長持形石棺が確認されている。石棺の特徴としては、蓋石・底石・4辺の側石の6枚の部材で構成され、平らな板石を使用した組み合わせ式である。石材は、これまで硬質な和泉砂岩を用いられていると考えられていたが、板石の表面に残るノミ痕から推測すると、比較的柔らかい石製であると考えられている。蓋石はカマボコ状に膨らみ、蓋石の長さ86cm、幅75.3cmで、同規模の他古墳から出土した長持形石棺の大きさと比してかなり小型である。そのため墳丘長155mの古墳の石棺としては不自然であるため、中心埋葬の石棺ではない、もしくは、長持形石棺の初源形態との考えも一考すべきである。石棺周辺の粘土内から、碧玉製鍬形石3個体、同車輪石18個体、異型1個体などの石製の腕輪類が出土している。また周濠の発掘では、鰭付(ひれつき)埴輪などの少量ではあるが埴輪が出土している。確認のための小規模な調査であったので石棺の内部は調査されず埋め戻された。出土遺物、立地、形状、石棺などから4世紀末頃の築造と考えられ、百舌鳥古墳群では最初期の古墳である。 石棺は埋め戻されているが、車輪石などの腕輪形石製品は堺市博物館で展示されている。
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