墳丘調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/08 14:50 UTC 版)
鹿児島大学総合研究博物館の調査隊による2006年(平成18年)の発掘調査では、墳裾に入れたトレンチ調査により、周溝の正確な規模が確定し、全長54メートルの前方後円墳であることが確認された。墳丘規模は同古墳群内で最大であり、出土遺物の年代から5世紀前半代の築造であることも確認され、同時期の横瀬古墳に次ぐ規模であったことなどが判明した。また、周溝内から、この古墳と共存関係にある地下式横穴墓が新たに3基確認された。 2008年(平成20年)の後円部墳頂の調査では、刳抜式舟形石棺が発見され、のちの分析で石材は志布志一帯で産出される入戸火砕流の溶結凝灰岩であることが判明した。刳抜式船形石棺自体は熊本県や宮崎県北部などの九州中部地域に多く分布するため、それらの地域から招聘された技術者(石工)により地元の石材を用いて製造されたと考えられている。 また墳丘西側くびれ部(前方部と後円部の接続部)付近では、土師器や須恵器を用いた墓前祭祀跡が発見され、須恵器は愛媛県伊予市内唯一の初期須恵器窯である「市場南組窯」で焼かれた広域流通品であった。
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