墳丘規模と構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:29 UTC 版)
墳丘第2段、第3段に版築状盛土を施す3段築成の横長の方墳である。高さは墳丘裾平坦面から残存墳頂までの比高差は4.7メートルを測る。規模は第1段部分が南北25.5メートル、東西34メートルである。貼石は攪乱された部分を除いて各段の斜面に認められた。また、この貼石は直接斜面に貼りつけるのではなく粘質土を埋込めのように塗りつけてから貼られている。墳丘の周りは周濠で囲んでおり、周濠の幅は北側で8.0メートル、南側で5.5メートル、西側で8.5メートル、東側は出水で損なわれているが9.5メートル程度と見られる。
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墳丘規模と構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:26 UTC 版)
墳丘は上下二段に構築されており、台地先端の地形を利用し、斜面に寄せかけて墳丘を構築することで実際の盛土以上に大きく見せている。各辺の推定長は東辺68.0m、西辺62.0m、南北両辺62.0m、高さは10.0m前後である。古墳時代中期の方墳としては最大級の規模に属する。墓山古墳の西にある浄元寺山古墳とは規模が近似し、同一の企画に基づいている可能性がある。墳丘の裾部分には葺石の根石の列があり、その石材(20cmから40cmの大きさ)は石英安山岩や輝石安山岩で二上山に連なる寺山や春日山の山麓付近で採取したと推定され、4キロないしは6キロの距離を運んだことになる。根石から上の墳丘斜面は5cmから15cmの大きさの円礫の葺石で一面に覆われており、1キロ東方の石川の川原で集めた石であろうと考えられる。墳丘の周囲は場所によって二重の溝によって囲まれている。また、溝を掘る際に地山を掘り残して造った2ヶ所の陸橋が検出されており、外部から墳丘へ登るための通路と考えられる。
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