墳丘築造手法
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 06:39 UTC 版)
「船山1号墳 (豊川市)」の記事における「墳丘築造手法」の解説
船山1号墳では、2017年度(平成29年度)に隣接道路の拡幅に際して、前方部の墳丘解体と同時に盛土構築手法の確認調査が実施されている。同調査によれば、墳丘の盛土を構成する土は、黒色系と黄褐色系の2種類の地山土になる。そのうち黒色系の土としては、地面表層の腐葉土層をブロック状に掘削したもの(1個約25キログラム)が使用される(表土積換工法または土嚢・土塊積み技術。ただし本古墳の場合に土嚢の使用は認められない)。 墳丘築造の工程は次の通り。まず築造場所の地面上に設計図が設定される。そして古墳周囲が掘削され、その掘削土が内側に50センチメートル程度盛られて平坦面が形成される(1段目)。次いで、その1段目平坦面の中央部・側面付近において土手状に盛土されたのち、その間・上部に90センチメートル程度盛土されて平坦面が形成され、そのさらに上に40センチメートル程度盛土されて平坦面が形成される(2段目)。その後、その2段目平坦面の中央部に土手状に盛土されたのち、その周囲に1.1メートル程度盛土されて平坦面が形成され(3段目)、以上で1次墳丘が構築される。この1次墳丘の上に盛土で拡幅される形で2次墳丘が構築され(土手状盛土はなし)、同様にして2次墳丘の上に最終墳丘が形成される(墳頂部付近で土手状盛土)。最終的には葺石が施されるとともに円筒埴輪・朝顔形埴輪が樹立され、墳丘が完成される。 以上に見られる手法のうち、表土積換工法(土嚢・土塊積み技術)は当時の畿内地方で例が知られる手法であるが、地方では中核的古墳で限定的に採用された手法とされる。そのため本古墳も畿内勢力の影響下での築造背景と推測されている。また土手状盛土を設けて壇状に盛土する手法は主に西日本に見られて「西日本的工法」とも称され、墳丘中央の小丘に肉付けして拡幅する「東日本的工法」とは性格を異にする手法になる。 断面左半 断面中央 断面右半
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