吉田古墳とは? わかりやすく解説

吉田古墳

名称: 吉田古墳
ふりがな よしだこふん
種別 史跡
種別2:
都道府県 茨城県
市区町村 水戸市元吉田町
管理団体 水戸市(大11・11・7)
指定年月日 1922.03.08(大正11.03.08)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 圓形古墳ニシテ石槨ノ奧壁ニ刀子矢筒等ノ圖ヲ彫刻横穴彫刻アルモノ畿内及ビ九州地方ニハ之ヲ見ルト雖モ關東方面ニ於テハ此ノ古墳ノ外未ダ發見セラレシコトアラス
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  吉川氏城館跡  吉志部瓦窯跡  吉武高木遺跡  吉田古墳  吉田松陰幽囚の旧宅  吉胡貝塚  吉見百穴

吉田古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/12 23:19 UTC 版)

吉田古墳

墳丘
別名 吉田1号墳
所属 吉田古墳群
所在地 茨城県水戸市元吉田町345ほか
位置 北緯36度21分31.10秒 東経140度28分30.80秒 / 北緯36.3586389度 東経140.4752222度 / 36.3586389; 140.4752222座標: 北緯36度21分31.10秒 東経140度28分30.80秒 / 北緯36.3586389度 東経140.4752222度 / 36.3586389; 140.4752222
形状 八角墳
規模 対辺長26m
埋葬施設 無袖式横穴式石室
出土品 銀環・鉄鏃ほか
築造時期 7世紀中葉
史跡 国の史跡「吉田古墳」
特記事項 装飾古墳
地図
吉田古墳
テンプレートを表示

吉田古墳(よしだこふん、吉田1号墳)は、茨城県水戸市元吉田町にある古墳。形状は八角墳。吉田古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定されている。

概要

石室奥壁 線刻壁画(複製)
水戸市埋蔵文化財センター展示。

茨城県中部、水戸台地東側の吉田台地の北側縁辺部に築造された古墳である。一帯には古墳数基が分布し、吉田古墳群を形成する。現在までに墳丘は大きく削平されているほか、1914年大正3年)に石室が発見され、1972年度(昭和47年度)および2005年度(平成17年度)以降に発掘調査が実施されている。

墳形は八角形と推定され、対辺長26メートルを測る(調査前は方墳等と想定された)[1]。墳丘周囲には八角形の周溝が巡らされ、外堤の対辺長は35メートルを測る[1]。埋葬施設は半地下式の無袖式横穴式石室で、南方向に開口する。石室の石材は軟質凝灰岩の切石(板石)で、長さ3.3メートル・幅1.4メートル(奥壁)・高さ1.7メートルを測る[2]。奥壁は台形で、線刻画(靫を中心に刀子・鉾・鉄刀など)が描かれる点で注目される[2]。石室内の副葬品としては、銀環(かつては金環として報告[3])・鉄鏃・刀剣残片等のみが伝わる[2]

築造時期は、古墳時代終末期7世紀中葉頃と推定される。八角墳は段ノ塚古墳奈良県桜井市舒明天皇陵)・御廟野古墳京都府京都市天智天皇陵)・野口王墓古墳(奈良県明日香村天武持統天皇合葬陵)など当時の天皇陵クラスの古墳で採用される墳丘形態になり、当地の豪族の特異性が示唆される。また、石室奥壁に線刻壁画を有する八角墳は全国で唯一の例になるとして注目される古墳になる。

古墳域は1922年(大正11年)に国の史跡に指定された。現在では石室は埋め戻された状態で保存されている。

遺跡歴

  • 江戸時代、地誌に明確な記述なし[3]
  • 1914年大正3年)、地元の加藤徳之助が採土中に偶然石室を発見。線刻壁画古墳と初めて認識[3]
  • 1916年(大正5年)、東京帝国大学による調査(柴田常恵ら)[3]
  • 1922年(大正11年)3月8日、国の史跡に指定[4]
  • 1945年昭和20年)、出土品を陳列した茨城県立教育参考館が空襲で焼失[3]
  • 1972年度(昭和47年度)、環境整備計画に伴う墳丘調査:第1次調査。石室復旧工事(水戸市教育委員会、2006年に報告書刊行)[3]
  • 2005年度(平成17年度)、史跡整備計画に伴う墳丘調査:第2次調査(水戸市教育委員会、2006年に報告書刊行)[3]
  • 2006年度(平成18年度)、史跡整備計画に伴う墳丘調査:第3次調査(水戸市教育委員会、2007年に報告書刊行)[1]
  • 2007年度(平成19年度)、史跡整備計画に伴う墳丘調査:第4次調査(水戸市教育委員会、2009年に報告書刊行)[5]
  • 2008年度(平成20年度)、史跡整備計画に伴う墳丘調査:第5次調査(水戸市教育委員会、2009年に報告書刊行)[5]
  • 2010年(平成22年)8月5日、史跡範囲の追加指定。
  • 2010年度(平成20年度)、史跡整備計画に伴う石室調査:第6次調査(水戸市教育委員会)[6]
  • 2012年(平成24年)9月19日、史跡範囲の追加指定。

文化財

国の史跡

  • 吉田古墳 - 1922年(大正11年)3月8日指定[4]、2010年(平成22年)8月5日・2012年(平成24年)9月19日に史跡範囲の追加指定[7]

関連施設

  • 水戸市埋蔵文化財センター(水戸市塩崎町) - 吉田古墳の線刻壁画レプリカ・出土品等を展示。

脚注

  1. ^ a b c 吉田古墳II 2007.
  2. ^ a b c 吉田古墳(古墳) 1989.
  3. ^ a b c d e f g 吉田古墳I 2006.
  4. ^ a b 吉田古墳 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  5. ^ a b 吉田古墳III 2009.
  6. ^ 第6次調査 現地説明会資料 2010.
  7. ^ 吉田古墳(水戸市ホームページ)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『茨城県史料 考古資料編 古墳時代』茨城県、1974年。 

関連項目

外部リンク




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「吉田古墳」の関連用語

吉田古墳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



吉田古墳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの吉田古墳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS