筑前国風土記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 05:01 UTC 版)
『筑前国風土記』逸文(『釈日本紀』所引)によると、足仲彦天皇(仲哀天皇)による球磨・囎唹(くま・そお:総じて熊襲)征伐のための筑紫行幸の際、怡土県主(いとのあがたぬし:福岡県糸島市付近の県主)らの祖の五十迹手(いとで)が出迎えた。五十迹手はその言の中で、自分を高麗国(朝鮮の総称か)の意呂山(不詳。一説に蔚山)に天降った日桙の後裔としている。
※この「筑前国風土記」の解説は、「アメノヒボコ」の解説の一部です。
「筑前国風土記」を含む「アメノヒボコ」の記事については、「アメノヒボコ」の概要を参照ください。
- 筑前国風土記のページへのリンク