日本側文献の記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 16:08 UTC 版)
旧怡土郡は大化の改新以前は伊覩縣が置かれ、『日本書紀』によるとその祖の名は五十迹手(いとて)で仲哀天皇の筑紫親征の折に帰順したとされる。福岡市西区には伊覩神社が存在している。 『筑前国風土記』逸文では筑紫に行幸した天皇を出迎えて奉ったため、勤し(伊蘇志[いそし])と讃えられた。それがなまって伊覩(いと)になったと伝える。また、五十跡手が「高麗の意呂山(おろのやま)に天より下った日拝(≠天日鉾命)の苗裔である」と天皇に奏上したとある。
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