神八井耳命
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神八井耳命(かんやいみみのみこと[1]、生年不詳 - 綏靖天皇4年4月)は、記紀等に伝わる古代日本の皇族。
- ^ a b c d e f 神八井耳命(古代氏族) & 2010年(平成22年).
- ^ 「日子八井命」『日本古代氏族人名辞典 普及版』吉川弘文館、2010年。
- ^ 己卯年は神武天皇崩御年(神武天皇76年:丙子年)の3年後、綏靖天皇即位年(庚辰年)の前年にあたる。
- ^ a b 手研耳命(古代氏族) & 2010年(平成22年).
- ^ 『先代旧事本紀』「国造本紀」では、石城国造の初代は天津彦根命の子孫とされる建許侶命とされている。
- ^ 同祖
- ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年(平成25年))p. 187。
- ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年(平成25年))p. 211。
- ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年(平成25年))p. 281。
- ^ 『続日本後紀』承和8年4月5日条。県連を賜姓された。
- ^ 『日本三代実録』貞観4年2月23日条。宿禰に改姓された。
- ^ 『日本三代実録』貞観5年9月5日条。宿禰に改姓された。
- ^ 『日本三代実録』貞観5年9月5日条。大朝臣を賜姓された。
- ^ 神八井耳命大麻を祀った留辺志部神社は、明治39年に愛知県からの入植者が建立し、大正14年に妙見宮相馬神社仮宮と合祀したという。「令和2年度 大上川神社例大祭のお知らせ」。
- ^ 『神名帳考証』において於呂閇志神社の祭神は彦八井耳命とされているが(本文)、これは、伴信友『神名帳考証土代』によると『新撰姓氏録』で彦八井耳命の後裔とされる「河内国皇別下家連」の「下家」を「おろしへ」と訓み、於呂閇志(おろへし)神社と関連付けられたためである(本文)。また、同書では『古事記』の道奥石城国造の祖が神八井耳命であったという記事を挙げているが、於呂閇志神社のある胆沢郡と石城地方はかなり離れている。本来は於呂閇志神社は後世に強引に結び付けられた彦八井耳命・神八井耳命とは無関係であったのであろう。なお、明治4年に於呂閇志神社と胆沢川神社が合祀され於呂閇志胆沢川神社となった。
- ^ 熊本県天草地方には阿蘇十二神、天照大神、神武天皇と共に神八井耳命を祀る神社が多くある(「天草の神社・祭神(googleキャッシュ)」天草Webの駅)。
[続きの解説]
「神八井耳命」の続きの解説一覧
- 1 神八井耳命とは
- 2 神八井耳命の概要
- 3 墓・霊廟
- 4 脚注
固有名詞の分類
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