国造本紀とは? わかりやすく解説

国造本紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/08 00:02 UTC 版)

国造本紀』(こくぞうほんぎ、くにのみやつこのもとつふみ)は、日本史書である。全国各地の国造の名をあげ、その系譜と叙任を記している[1]。『先代旧事本紀』の第10巻にあたる。

概要

先代旧事本紀』は平安時代初期に古事記日本書紀古語拾遺などを基にして作られた偽書とされている[2][3]。しかし、そのうちの第3巻「天神本紀」の一部、第5巻の「天孫本紀」、第10巻の「国造本紀」は、他のいずれの文献にもみえない独自の所伝を載せており[3]、特に「天孫本紀」と「国造本紀」は古代史における重要かつ貴重な史料と考えられている[4][5][6]

内容については、大化の改新以前の全国の国造が列挙され、それぞれの任命設置の時期、初代国造名、及びその系譜が記されている[3][7]。また『先代旧事本紀』における「神代本紀」から「帝皇本紀」までが編年史であるのに対し「国造本紀」には別に序文があり、独立した一書の体裁をとっている[8]

成立に関しては、823年弘仁14年)の加賀国分立が記されているため、最終的な成立は平安時代初期と考えられている[8][9]。成立経緯には、『先代旧事本紀』編纂時に古文献を斟酌して作成したとする説、6世紀中葉から7世紀前半にその当時実在した国造を記録した原資料が存在し、702年大宝2年)に作成された「国造記(こくぞうき)」をその公的記録とみなす説などがある[9]

「国造本紀」は、後世の国造である律令国造の名や国司の名も混入しているが、それでも他に例の無いまとまった国造関係史料であり、概して信用できる古伝によっているとされ、独自の価値を持つため、古代史研究・国造研究の史料となっている[3][7][9]。ただし、内容には十分な考証が必要となる[9]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 平凡社 百科事典マイペディア国造本紀コトバンクhttps://kotobank.jp/word/国造本紀-64096#E6.94.B9.E8.A8.82.E6.96.B0.E7.89.88.E3.80.80.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8 
  2. ^ 平凡社 世界大百科事典先代旧事本紀コトバンクhttps://kotobank.jp/word/先代旧事本紀-88530#E6.94.B9.E8.A8.82.E6.96.B0.E7.89.88.E3.80.80.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8 
  3. ^ a b c d 小学館 日本大百科全書国造本紀コトバンクhttps://kotobank.jp/word/国造本紀-64096#E6.94.B9.E8.A8.82.E6.96.B0.E7.89.88.E3.80.80.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8 
  4. ^ 山川出版社 山川 日本史小事典 改訂新版『先代旧事本紀コトバンクhttps://kotobank.jp/word/先代旧事本紀-88530#E6.94.B9.E8.A8.82.E6.96.B0.E7.89.88.E3.80.80.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8 
  5. ^ 小学館 日本大百科全書先代旧事本紀コトバンクhttps://kotobank.jp/word/先代旧事本紀-88530#E6.94.B9.E8.A8.82.E6.96.B0.E7.89.88.E3.80.80.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8 
  6. ^ 旺文社 日本史事典 三訂版『旧事紀コトバンクhttps://kotobank.jp/word/旧事紀-483283#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 
  7. ^ a b 平凡社 世界大百科事典国造本紀コトバンクhttps://kotobank.jp/word/国造本紀-64096#E6.94.B9.E8.A8.82.E6.96.B0.E7.89.88.E3.80.80.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8 
  8. ^ a b ブリタニカ・ジャパン ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『国造本紀コトバンクhttps://kotobank.jp/word/国造本紀-64096#E6.94.B9.E8.A8.82.E6.96.B0.E7.89.88.E3.80.80.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8 
  9. ^ a b c d 山川出版社 山川 日本史小事典 改訂新版『国造本紀コトバンクhttps://kotobank.jp/word/国造本紀-64096#E6.94.B9.E8.A8.82.E6.96.B0.E7.89.88.E3.80.80.E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8 

関連項目

外部リンク


国造本紀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 09:15 UTC 版)

健磐龍命」の記事における「国造本紀」の解説

修補諏訪氏系図』では武五百建命科野国造の祖とだけ記され、妻の阿蘇比売命も草吉見神の娘ではなく会知早雄命の娘とされるが、『阿蘇家略系譜』では健磐龍命重なりあうように健稲背命と速瓶玉命の父とされている。なお『先代旧事本紀』の「国造本紀」によれば建五百建命崇神天皇第10代天皇)の時代初代科野国造任命されたという。しかし『阿蘇家略系譜』では父・武五百建命と子・速瓶玉命が共に崇神朝の人物という矛盾があり、活動地域も全く異なる。これについて、実際に九州称多氏族諸国造が『記紀編纂時までに多氏同族化した際、名前の類似から同人化したものと見る説がある。 科野国造の治所は小県郡にあったが、『和名類聚抄によれば小県郡には「安宗郷(あそ-)」という郷があったといい、「阿蘇(あそ)」と同音である。現在も上田市古安曽(こあそ)に安曽神社存在する

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