於呂閇志胆沢川神社とは? わかりやすく解説

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於呂閇志胆沢川神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 00:41 UTC 版)

於呂閇志胆沢川神社

拝殿(2018年12月)
所在地 岩手県奥州市胆沢若柳字下堰袋48
位置 北緯39度7分47.5秒 東経141度1分49.5秒 / 北緯39.129861度 東経141.030417度 / 39.129861; 141.030417 (於呂閇志胆沢川神社)座標: 北緯39度7分47.5秒 東経141度1分49.5秒 / 北緯39.129861度 東経141.030417度 / 39.129861; 141.030417 (於呂閇志胆沢川神社)
主祭神 神八井耳命須佐之男命
大日靈命誉田別命
大山祇命大名持命
創建 大同2年(807年
例祭 4月29日、9月12日
地図
於呂閇志胆沢川神社
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於呂閇志胆沢川神社(おろへしいさわがわじんじゃ)は、岩手県奥州市胆沢にある神社厨子文化財指定を受けている。

祭神

歴史

当社は於呂閇志神社と胆沢川神社の合併社。胆沢川神社は、807年大同2年)坂上田村麻呂による勧請であり、祭神は胆沢川の水速女命。於呂閇志神社は当社西方約10キロメートルにある猿岩を「作神」として祀ったもの。「於呂閇志神社縁起」によれば810年弘仁元年)、嵯峨天皇の勧請で、祭神は木花咲耶姫命1871年明治4年)に合併された[1]

文化財

於呂閇志胆沢川神社厨子

主屋間口91cm、奥行91.8cm。向拝間口91cm、奥行49.5cm。一間四方、入母屋造屋根こけら葺妻入仙台藩2代藩主・伊達忠宗の末子で前沢領主となった伊達宗章(1633年没)の霊廟厨子。没年をあまり降らない時期に建造されたとされる。もと奥州市前沢区霊桃寺境内にあったものを、当社に移転し、本殿内厨子として転用したものである。斗拱、台輪や頭貫の木鼻、その絵様、および妻飾りなどがみられる。1991年平成3年)3月29日、県から有形文化財に指定された[2]

現地情報

所在地
交通アクセス
駐車場
  • あり
周辺施設

脚注

出典

  1. ^ 於呂閇志胆沢川神社”. 岩手県の町並みと歴史建築. 2019年1月18日閲覧。
  2. ^ 於呂閇志胆沢川神社厨子”. いわての文化情報大事典. 2019年1月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年1月18日閲覧。

関連項目




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