ほむたわけ‐の‐みこと【誉田別命/品陀和気命】
ほんたわけ‐の‐みこと【誉田別命/品陀和気命】
応神天皇
(誉田別命 から転送)
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応神天皇(おうじんてんのう、旧字体: 應神󠄀天皇、仲哀天皇9年12月14日 - 394年?[1][2]〈応神天皇41年2月15日〉)は、第15代天皇。『日本書紀』での名は誉田天皇(ほむたのすめらみこと)。記紀によると渡来人を用いて国家を発展させたとされ、中世以降は軍神八幡神としても信奉された。実在したとすれば4世紀後半〜5世紀初頭ごろの天皇(大王)と推定されているが、文献史学的には疑問がある(後述)。
注釈
出典
- ^ 『古事記』大安万侶。
- ^ 小沢一雅「古事記崩年干支に関する数理的検討」『情報処理学会研究報告』2010年度第2号、情報処理学会、2010年8月、1-6頁、CRID 1520572359470131072、ISSN 18840930、NAID 110008003488、2023年10月30日閲覧。
- ^ 山尾幸久『日本国家の形成』(岩波新書、1977年)
- ^ 飯沼賢司『八幡神とはなにか』角川学芸出版、2004年、p.98
- ^ 宇佐神宮|宇佐神宮について - ご祭神
- ^ 雌鳥皇女 めとりのおうじょKotobank
- ^ a b 『日本書紀(二)』岩波書店 ISBN 9784003000427
- ^ 『広開土王碑』
- ^ 『三国史記』
- ^ 岡田隆夫「軽島豊明宮」(『国史大辞典』吉川弘文館)
- ^ 外池昇『事典陵墓参考地 もうひとつの天皇陵』(吉川弘文館、2005年)pp. 49-52。
- ^ 宇佐神宮|宇佐神宮について - 由緒
- ^ 倭王讃については、仁徳天皇や17代履中天皇を比定する説もある。
- ^ 赤城 2006, p. 118.
- ^ 阿花王(デジタル版 日本人名大辞典+Plus)(朝日新聞社コトバンクより)。
- ^ 坂本太郎・平野邦雄監修『日本古代氏族人名辞典 普及版』(吉川弘文館、2010年)阿花王項。
- ^ 田中俊明 2021.
- ^ 「ヤマト王権」 岩波新書 2010 93頁
- ^ 河内の研究によれば、「アフリカの無文字社会において、部族首長の継承は、事績や系譜的位置が詳しく語られている首長は傍系継承。名前と継承順位だけしか記憶が残っていない首長は直系継承であることが多い」という
- ^ 河内春人『倭の五王 王位継承と五世紀の東アジア』(中央公論新社、2018年)
- ^ 岡田 1977, p. 189-190.
- ^ 岡田 2009, p. 62-65.
- ^ 直木孝次郎『大和王権と河内王権』吉川弘文館〈直木孝次郎古代を語る 5〉、2009年、185-200頁。ISBN 9784642078863。 NCID BA88939264。全国書誌番号:21542433。
- ^ 湯浅幸孫「<研究ノート>倭国王武の上表文について」史林 64 (1), 117-128, 1981-01-01論文のURL
- ^ 白石太一郎編『天皇陵古墳を考える』(学生社)、2012。同書第二章「誉田御廟山古墳(現応神陵)の被葬者」より。執筆者は白石太一郎。
- ^ 白石2012
- ^ 「応神天皇陵、前方部に方形土壇 血縁者ら重要人物を埋葬か」(日本経済新聞)
- ^ 白石太一郎編『天皇陵古墳を考える』(学生社)、2012及び『古墳の被葬者を推理する』 (中公叢書)、2018より。
- ^ MBSニュース"仁徳天皇の墓"とされる『大山古墳』...しかし出土品や没年などから「仁徳天皇の墓ではない」と専門家の間で論争が 一体誰の墓なのか?22/02/21 15:00。もっとも白石太一郎のように従来どおり仁徳天皇陵=大仙古墳とみる学者もニュースには登場しており、現時点では決着を見ていない。
誉田別命
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「二宮神社 (船橋市)」の記事における「誉田別命」の解説
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譽田別命(ほんだわけのみこと)
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「西野神社」の記事における「譽田別命(ほんだわけのみこと)」の解説
第14代仲哀天皇と神功皇后との間に生まれた皇子で、第15代応神天皇として即位。八幡大神の別称で全国的に広く知られる神で、特に中世から近世にかけては国家鎮護・戦勝・弓矢の神として、また源氏一門の氏神として、武家から格別な崇敬を受けた。
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