七支刀とは? わかりやすく解説

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しちし‐とう〔‐タウ〕【七支刀】

読み方:しちしとう

奈良県天理市石上神宮(いそのかみじんぐう)伝世鉄剣長さ75センチ左右に3本ずつの刃を交互に出す。金象眼銘文4世紀後半百済(くだら)で作られたとあり、「日本書紀記載七枝刀(ななさやのたち)にあたるとみられている。


七支刀

読み方:シチシトウ(shichishitou)

石上神宮古来神宝として伝えられ鉄剣国宝


七支刀

主名称: 七支刀
指定番号 015
枝番 00
指定年月日 1949.05.30(昭和24.05.30)
国宝重文区分 国宝
部門種別 考古資料
ト書 泰□四年□月十六日在銘
員数 1口
時代区分 古墳
年代
検索年代
解説文: 古墳時代資料

七支刀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 19:22 UTC 版)

七支刀(しちしとう[注釈 1])は、奈良県天理市石上神宮に伝来した古代の鉄剣である。全長74.8センチメートル、剣身の左右に段違いに3本ずつ、6本の枝刃を持つ。剣身に金象嵌銘文が記されている。1953年昭和28年)指定国宝


注釈

  1. ^ 刀剣の分類上、「」は片刃の武器を指し、本品は両刃であるため「剣」に属するが、剣身に象嵌された銘文に本品を指して「七支刀」とあるため、一般名詞としてこう呼ばれている。
  2. ^ 「聖音(又は晋)や「旨」の文字を銘記

出典

  1. ^ 村山正雄、『石上神宮 七支刀銘文図録』、吉川弘文館、1996^ 木村誠、「百済史料として七支刀銘文」、『人文學報』306、2000^ 鈴木勉·河内國平、『復元七支刀-古代東アジアの鉄ㆍ象嵌ㆍ文字』、雄山閣、2006
  2. ^ a b c d 坂元義種「巻頭史論 研究史 古代の日本と朝鮮--「七支刀」「好太王碑」「倭の五王」研究の成果と課題」『歴史読本』第51巻第3号、新人物往来社、2006年2月、50-51頁。 
  3. ^ a b c d e 坂元義種「巻頭史論 研究史 古代の日本と朝鮮--「七支刀」「好太王碑」「倭の五王」研究の成果と課題」『歴史読本』第51巻第3号、新人物往来社、2006年2月、49-50頁。 
  4. ^ a b c d 坂元義種「巻頭史論 研究史 古代の日本と朝鮮--「七支刀」「好太王碑」「倭の五王」研究の成果と課題」『歴史読本』第51巻第3号、新人物往来社、2006年2月、48-49頁。 
  5. ^ a b c d 栗原薫「大化前代の紀年(三)」『北海道教育大学紀要. 第一部. B社会科学編』第33巻第1号、北海道教育大学、1982年9月、6-7頁、doi:10.32150/00002910ISSN 0386-4480CRID 1390857777802733696 
  6. ^ 倉西(2003)
  7. ^ a b c d e f g h i j k l 浜田耕策「4世紀の日韓関係」第1回日韓歴史共同研究(第1期)第1分科報告書(2005年)。財団法人日韓文化交流基金で閲覧可能(2014年10月閲覧)。釈文については第1章第2節を参照。付録としてpp.58-63.に〈日本における「七支刀」研究文献目録〉を掲載。また九州大学 21世紀COEプログラム 浜田耕策「七支刀銘文の語るもの」
  8. ^ a b c 『日本史総合年表』第二版、吉川弘文館、2005年
  9. ^ a b c d e 河内春人(2018)pp.3-14
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  11. ^ 福永光司『道教と古代日本』人文書院、1987年。 
  12. ^ 佐伯有清『古代史演習 七支刀と広開土王碑』吉川弘文館、1977年。 
  13. ^ a b 吉田(2001)
  14. ^ 宮崎市定『謎の七支刀 五世紀の東アジアと日本』 中公文庫 1992年1月。
  15. ^ 銘文の「泰■四年■月十六日」は七支刀に銘文を刻んだ日時で元号であり、「丙午正陽(丙午の陰暦四月の間)」だが丙午は紀年法の干支であるから刀の制作時と期間であるとする。「泰■四年」の候補は、①普王朝の「泰始四年」(268年)、②北魏の「泰常四年(419年)」、③南宋時代の「泰始四年(468年)」の3つであるが、①は刀の制作期間(丙午正陽)の年代は干支であるから容易に分かり、該当する丙午というのは268年以前の226年となり、銘文を刻んだ年と制作時期が大きくかけ離れており(40年以上)脱落する。②の場合も同様に、鍛錬時期である「丙午」の候補の年は406年となるが、これも10年以上の開きがあり脱落する。他方、③の場合には同様に、鍛錬時期である「丙午」の候補の年は466年が最も近く、泰始4年(468年)の2年前以内であり、制作時期としては妥当と見て、中島は③が正しいとする。また「東晋の太和四年(369年)」と読む説についても、丙午の正陽が346年となり、銘文を刻んだ年と20年以上大きくかけ離れており脱落すると見て否定する。故に、石上神社に伝来した七支刀の表の銘文「泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀出…」の日本語訳は、「泰始四年(468年)■月十六日に(以下のような銘文を刻む)。この七支刀は、(それ以前の)丙午の正陽(466年の四月の期間)に何度も鍛練して作り上げたものである…」とすべきとする。中島信文『日本国誕生の隠された秘密と真実-空白の時代と『記紀』の虚偽と真実-』本の研究社〈東洋史が語る真実の日本古代史と日本国誕生シリーズ4〉、2020年6月11日、137-146頁。 
  16. ^ 金錫亨『大和政権と任那』勁草書房、1969年。 
  17. ^ 李丙燾『韓国古代史研究―古代史上の諸問題』学生社、1980年。 
  18. ^ 村山正雄 編『石上神宮七支刀銘文図録』吉川弘文館、1996年。 
  19. ^ 同14頁
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  21. ^ 盧重国 (2005年). “5世紀の韓日関係史-『宋書』倭国伝の検討-” (PDF). 日韓歴史共同研究報告書(第1期) (日韓歴史共同研究): p. 263-264. オリジナルの2021年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211127011246/https://www.jkcf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/11/1-04j.pdf 
  22. ^ 김현구『임나일본부설은 허구인가』Changbi Publishers, Inc.、2010年12月24日、187頁。ISBN 8936482599。"일본에서 8년만에 귀국한 직지왕의 부인 이름이 팔수부인(八須夫人)으로 씌어 있다. 고대 일본에서는 사람 이름에 ‘팔’이라는 글자가 흔히 들어간다. 그러나 한국에서는 사람 이름에 ‘팔’자를 사용하는 예가 거의 없다. 따라서 직지왕의 부인은 일본 여인이었을 가능성이 높다. 사실 일본은 661년 백제 왕자 풍의 귀국에 즈음하여 그를 일본 여인과 혼인을 맺게 한 예가 있다. 이런 면에서도 야마토정권은 직지가 귀국하기에 앞서 그를 일본 여인과 혼인을 맺게 했을 가능 성이 높다. 그렇다면 동성왕이나 무령왕의 부인도 일본 여인이었을 가능성이 높다. 그들도 일본에서 성장하여 혼기가 지나 귀국했기 때문이다. 만약 일본이 백제의 왕자들을 정책적으로혼인시켜 돌려보냈다면 그 상대는 황가의 여인들이었을 가능성이 높다. 백제의 왕자들이 혼인한 상대가 천황가의 여자들이었다면 백제왕가에도 일본천황가의 피가 수혈되기 시작한 셈이다."。 
  23. ^ 노중국 (2005年). “5世紀의 韓日關係史 : 《宋書》 倭國傳의 檢討” (PDF). 한일역사 공동연구보고서 (한일역사공동연구위원회): p. 231-232. オリジナルの2021年11月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20211127012931/https://www.jkcf.or.jp/wordpress/wp-content/uploads/2019/11/1-04k.pdf 
  24. ^ a b “이기환의 흔적의 역사”. 京郷新聞. (2021年6月28日). オリジナルの2021年8月22日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20210822163029/https://khan.co.kr/culture/culture-general/article/202106280900001 
  25. ^ 『日本書紀』神功皇后摂政五十二年九月の条
  26. ^ 日本書紀紀年論では249年。干支二運さげると369年。岩波文庫「日本書紀」(二),179頁注釈
  27. ^ 「以荒田別。鹿我別為将軍。則与久氐等共勒兵而度之。至卓淳国。将襲新羅。」
  28. ^ 「因以平定比自㶱。南加羅。㖨国。安羅。多羅。卓淳。加羅七国。」
  29. ^ この出来事を、七支刀にあらわれる東晋の泰和四年(369年)に比定する解釈がある。「古代天皇はなぜ殺されたのか」 八木荘司 角川書店 ISBN 978-4043828081
  30. ^ 日本書紀紀年論では252年。干支二運さげると372年。岩波文庫「日本書紀」(二),185頁注釈によれば、この箇所は「百済記」によるとする。
  31. ^ 岩波文庫「日本書紀」(二),184頁訓読
  32. ^ 吉野裕子『陰陽五行と日本の天皇』人文書院、1998年。 
  33. ^ 武田祐吉訳 (1956年). “古事記(現代語訳古事記)”. 角川書店. 2015年5月31日閲覧。
  34. ^ a b 徳田誠司「米国ボストン美術館所蔵 所謂「伝仁徳天皇陵出土品」の調査」(『書陵部紀要』第62号〔陵墓編〕、宮内庁書陵部、2011)



七支刀(ななつさやのたち)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 15:38 UTC 版)

大神 (ゲーム)」の記事における「七支刀(ななつさやのたち)」の解説

都で売られている七叉に分かれた剣。「画点」の筆業を使うことが可能で、攻撃力都牟刈大刀よりも高い。

※この「七支刀(ななつさやのたち)」の解説は、「大神 (ゲーム)」の解説の一部です。
「七支刀(ななつさやのたち)」を含む「大神 (ゲーム)」の記事については、「大神 (ゲーム)」の概要を参照ください。


七支刀

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 14:15 UTC 版)

三韓征伐」の記事における「七支刀」の解説

詳細は「七支刀」を参照 神功52252または372)年9月10日百済王は、百済倭国同盟(済倭同盟)を記念して神功皇后七子鏡と七支刀を贈った。 なお、七支刀に彫られた「泰■四年」を太和4年とする説がある。この場合東晋太和4年とされる。但し、この場合には泰の文字と太の文字異なるために疑問視する声もある。また七支刀に彫られた「泰■四年」を西晋泰始4年268年もしくは宋の泰始4年468年)だという説もあり、こちらは泰の文字合致するのでこちらを主張する学者存在する山尾幸久は、裏面では百済王東晋皇帝奉じていることから、369年東晋朝廷工房造られた原七支刀があり、百済372年正月東晋朝貢して、同年6月には東晋から百済王に原七支刀が下賜されると、百済では同年にこれを模造して倭王贈った解釈している。また、当時東晋では、道教流行しており、七支刀の形態と、その百兵を避けることができるとする呪術力の思想があったとする浜田耕策百済王が原七支刀を複製して、刀を倭王に贈るという外交は、当時百済高句麗軍事対立にあったため、まず東晋冊封関係を結び、次いで倭国友好関係構築するめだったとしている。

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