鉄剣・鉄刀銘文
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鉄剣・鉄刀銘文(てっけん・てっとうめいぶん)は、鉄製の剣または刀に記された文字資料のこと。本項では日本の古墳からの出土品と石上神宮伝世の七支刀について述べる。なお、ここでいう剣は両刃、刀は片刃の武器を指す。これらは5世紀前後の古墳時代の情報を知るための貴重な史料である。特に稲荷山古墳出土の鉄剣銘文は文字数が多い。
注釈
- ^ 1978年9月の保存修理の結果。
- ^ 例:「二塔天寳十七年戊戌中立在之」(『葛項寺造塔記』758 年)
- ^ なお、中央木棺からは他に鉄剣3口、鋲留短甲(びょうどめたんこう)1、鉄鏃3、刀子1が検出され、北木棺からは大刀1口、鉄鏃一種、胡簶(ころく)金具1組が検出されている。
- ^ 千年以上もその存在が忘れられていたが、菅政友(かんまさすけ[6]、1824年 - 1897年)によって見出され、金象嵌の文字が研ぎ出された。
- ^ 表に34字、裏に27字、表裏併せて61字あり、読めるもの49字、全く読めないもの4字、後の8字はわずかに残る線画によって推測。
- ^ 倭王とは九州の倭国の王で、後に倭国からヤマトに七支刀が奪われたとの説も有る(古田武彦説)。
- ^ 5文字目は「令」「今」「㐱」、6文字目は「河」「珂」「阿」、7文字目は門構えの文字、9文字目は「伊」または「得」、12文字目は「刀」または「也」の可能性がある。
- ^ 一方、この「大王」を、ヤマトとは別の九州の大王と見る説も有る(古田武彦説)。それによると、この頃ヤマトの勢力は九州に及んでいなかったことになる。
出典
- ^ 推定銘文及び訓読は(埼玉県教委 1979)による。
- ^ a b c 村山・国分 1979.
- ^ 宮崎 1983, p. 145.
- ^ a b 東野 2010, pp. 12–13.
- ^ 原島 1993, pp. 11–14.
- ^ “コラム古代からのメッセージ > 倭の五王の時代 > 七支刀の銘文 (№151)”. 藤井寺市 (2009年6月4日). 2013年11月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月4日閲覧。
- ^ 宮崎 1992.
- ^ 『日本書紀』神功皇后摂政五十二年九月の条
- ^ a b 加藤ほか編 2005.
- ^ 池田 1984.
- ^ 勝部 1984, pp. 76–77.
- ^ 鬼頭 1987, pp. 73–74.
- ^ 鬼頭 1987, p. 74.
- ^ 岸 1987, pp. 122–123.
- ^ 令和元年7月23日文部科学省告示第26号
- ^ 文化審議会答申 ~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定及び登録有形文化財(美術工芸品)の登録について~(文化庁サイト、2019年3月18日発表)
- ^ 青木・犬竹 1995.
- ^ a b 江田船山国宝展実行委員会 2001.
- ^ “国宝がやってきた「江田船国宝展」 ~熊本の技と美の1500年~”. 熊本県教育委員会文化課. 2005年2月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年1月4日閲覧。
- ^ a b c 林田・三好 2023, p. 28.
- ^ a b 林田・三好 2023, p. 29.
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