稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣とは? わかりやすく解説

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稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 07:14 UTC 版)

鉄剣・鉄刀銘文」の記事における「稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣」の解説

詳細は「稲荷山古墳出土鉄剣」を参照 稲荷山古墳出土鉄剣国宝埼玉県立さきたま史跡の博物館展示。左は表面、右は裏面1968年昭和43年)、埼玉県行田市稲荷山古墳から出土した鉄剣金錯銘鉄剣」である。全文115からなる金象嵌銘文記されている。全長73.5センチメートル中央の身幅3.15センチメートル鉄剣表裏金象嵌115字の銘文、表に57字、裏に58字が記されている。タガネ鉄剣表裏に文字刻み、そこに金線埋め込んでいる。優れた技術者がいたと推測される辛亥七月中記乎獲居臣上祖名意富比垝其児多加利足尼其児名弖已加利獲居其児名多加披次獲居其児名多沙鬼獲居其児名半弖比<訓読辛亥の年七月中、記す。ヲワケの臣。上祖、名はオホヒコ其の児、(名は)タカリスクネ其の児、名はテヨカリワケ。其の児、名はタカヒ(ハ)シワケ其の児、名はタサキワケ。其の児、名はハテヒ。 表の銘文 裏の銘文 其児名加差披余其児名乎獲居世々杖刀人首奉事来至今獲加多支鹵大王寺在斯鬼宮時吾左治天下令作此百練利刀記吾奉事根原也<訓読其の児、名はカサヒ(ハ)ヨ。其の児、名はヲワケの臣。世々杖刀人の首と為り、奉事し来り今に至る。ワカタケル(クヮクカタキル)の大王の寺、シキの宮に在る時、吾、天下を左治し此の百練の利刀を作らしめ、吾が奉事の根原を記す也。

※この「稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣」の解説は、「鉄剣・鉄刀銘文」の解説の一部です。
「稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣」を含む「鉄剣・鉄刀銘文」の記事については、「鉄剣・鉄刀銘文」の概要を参照ください。

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