七支刀銘文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:13 UTC 版)
神功皇后52年9月に肖古王から神功皇后に献上された七枝刀、通説ではこの七枝刀とは石上神宮につたわる七支刀と考えられているが、その銘文にある「泰■四年」の部分の解釈にも干支の二運くりあげに関係する諸説がある。 通常暦説(戦前の説) 西晋の泰始4年の西暦268年と考える。『日本書紀』における神功皇后52年は西暦252年なのでの誤差は16年と大きい。また七支刀を奉じたとされる肖古王(在位:166年 - 214年)は『日本書紀』で三韓征伐があったとされる西暦200年に在位していたと『三国史記』が伝える王ではあるが、七支刀が奉じられたと仮定される西暦252年に在位していた百済王は肖古王ではなく古尓王(在位:234年 - 286年)である。これは日本側で百済王の代替わりが認識されていなかったためと解釈されていた。 二運くりあげ説(戦後の新しい説) 銘文にある「泰■四年」は東晋太和4年の西暦369年と考える。『日本書紀』における神功皇后52年を120年くりさげると西暦372年となり誤差は3年とかなり小さくなる。七支刀を奉じた百済王は肖古王ではなく近肖古王とする。『三国史記』ではどちらも単に肖古王と記載されているため王名に関する矛盾はない。
※この「七支刀銘文」の解説は、「神功皇后」の解説の一部です。
「七支刀銘文」を含む「神功皇后」の記事については、「神功皇后」の概要を参照ください。
- 七支刀銘文のページへのリンク