葛城襲津彦とは? わかりやすく解説

かつらぎ‐の‐そつひこ【葛城襲津彦】


葛城襲津彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 17:46 UTC 版)

日本書紀』に基づく関係系図


注釈

  1. ^ 玉田宿禰について、『日本書紀』允恭天皇5年7月14日条では襲津彦の孫、同書雄略天皇7年是歳条では子とする。
  2. ^ 神功皇后62年は、書紀紀年で西暦262年、干支二運を繰り下げた訂正紀年で西暦382年にあたる[14]

出典

  1. ^ a b c d e f g h 葛城襲津彦(国史).
  2. ^ a b c d e f g 葛城襲津彦(古代氏族) & 2010年.
  3. ^ a b 葛城襲津彦(古代史) & 2006年.
  4. ^ 「葛城」『角川日本地名大辞典 29 奈良県』 角川書店、1990年。
  5. ^ a b c 小野里了一 & 2015年.
  6. ^ 古事記孝元天皇
  7. ^ 神戸市一宮神社境内社伊久波神社案内板
  8. ^ a b 新撰姓氏録
  9. ^ 宇治谷孟『続日本紀 (下)』(講談社講談社学術文庫〉、1995年)
  10. ^ a b 谷秦山『土佐国式社考』(享保5年)
  11. ^ 『紀氏家牒』
  12. ^ 一宮神社の案内板
  13. ^ 並河誠所『摂津志』(1734年
  14. ^ 『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年(ジャパンナレッジ版)
  15. ^ 『新編日本古典文学全集 2 日本書紀 (1)』小学館、2002年(ジャパンナレッジ版)、p. 462。
  16. ^ 11/2639(山口大学「万葉集検索システム」)。
  17. ^ 『新編日本古典文学全集 8 萬葉集 (3)』小学館、2004年(ジャパンナレッジ版)、p. 236。
  18. ^ 大久間喜一郎仁徳天皇記の構想」『明治大学教養論集』第418巻、明治大学教養論集刊行会、2007年3月、83-99頁、ISSN 0389-6005NAID 120001969947 
  19. ^ 加藤謙吉『秦氏とその民』(白水社、1998年)
  20. ^ 古墳大きさランキング(日本全国版)(堺市ホームページ、2018年5月13日更新版)。
  21. ^ a b 平林章仁 & 2013年, pp. 122–124.
  22. ^ 「宮山古墳」『日本歴史地名体系 30 奈良県の地名』 平凡社、1981年。
  23. ^ 坂靖 「奈良盆地の遺跡が語る有力豪族の実像」『古代史研究の最前線 古代豪族』 洋泉社、2015年、p.206。
  24. ^ 『国造制の研究 -史料編・論考編-』(八木書店、2013年)p.173。
  25. ^ 仁藤敦史「倭・百済間の人的交通と外交 : 倭人の移住と倭系百済官僚 (第1部 総論)」『国立歴史民俗博物館研究報告』第217巻、国立歴史民俗博物館、2019年、29-45頁、ISSN 0286-7400 
  26. ^ 井上直樹『百済の王号・侯号・太守号と将軍号 : 5世紀後半の百済の支配秩序と東アジア』国立歴史民俗博物館〈国立歴史民俗博物館研究報告 211〉、2018年3月30日、136頁。 


「葛城襲津彦」の続きの解説一覧



葛城襲津彦と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「葛城襲津彦」の関連用語

葛城襲津彦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



葛城襲津彦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの葛城襲津彦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS