新羅再征
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:13 UTC 版)
摂政5年3月7日、本国に一時帰国したいという微叱己知(新羅からの人質)の願いを聞き入れて葛城襲津彦を監視に付けるも逃がしてしまう。摂政46年3月、斯摩宿禰を朝鮮半島の卓淳国(大邱)に派遣。斯摩宿禰はさらに百済へ使者を送り、百済から日本への道を繋いだ。翌年4月、新羅と百済が朝貢してきた。百済の貢物が酷くみすぼらしいので使者の久氐を問い詰めたところ、新羅に貢物を奪われたと訴えた。摂政49年、新羅を再征伐することになった。将軍として派遣された荒田別(あらたわけ)・鹿我別(かがわけ)は百済の木羅斤資(もくらこんし)・沙々奴跪(ささなこ)と共に七つの国を平定した。以後、摂政52年まで久氐が日本と百済を往復し、百済から宝物をもたらした。摂政62年、新羅が朝貢してこないので葛城襲津彦に征伐させる。摂政69年、4月に崩御。
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