新羅人の渤海認識
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田中俊明や李成市や古畑徹によると、8世紀の唐の記録には、新羅人が新羅の東北境の住民である渤海人のことを、黒毛で身を覆い、人を食らう長人、ととらえていたことをうかがわせる記述があり、この異人視は渤海・新羅両国の没交渉からくる恐怖感を示し、それだけの異域であったことの証左であり、新羅および渤海の辺境地帯の地域住民に対して、これだけの異域観がみられることから、渤海・新羅両国の乖離した意識は明確であり、渤海・新羅の同族意識はうかがいようもないと指摘している。長人記事とは、『新唐書』巻二二〇・東夷伝・新羅、『太平広記』巻四八一・新羅条の以下の記事である。 新羅、弁韓苗裔也。居漢樂浪地、橫千里、縱三千里、東拒長人、東南日本、西百濟、南瀕海、北高麗。(中略)長人者、人類長三丈、鋸牙鉤爪、黑毛覆身、不火食、噬禽獸、或搏人以食、得婦人、以治衣服。其國連山數十里、有峽、固以鐵闔、號關門、新羅常屯弩士數千守之。新羅(中略)東は長人を拒つ。(中略)長人なる者は、人の類にして長三丈、鋸牙鉤爪、黒毛もて身を覆う。火食せず、禽獣を噬う。或いは人を搏え以て食らう。婦人を得て、以て衣服を治めしむ。其の国、連山数十里、峡あり。固むるに鉄闔を以てし、関門と号す。新羅、常に弩士数千を屯し之を守る。 — 新唐書、巻二二〇・東夷伝・新羅 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。新唐書/卷220#新羅 新羅國、東南與日本鄰、東與長人國接。長人身三丈、鋸牙鉤爪、不火食、逐禽獸而食之、時亦食人。裸其軀、黑毛覆之。其境限以連山數千里、中有山峽、固以鐵門、謂之鐵關。常使弓弩數千守之、由是不過。新羅国(中略)東(北)は長人国と接す。長人の身は三丈、鋸牙鉤爪、火食せず。禽獣を逐いて之を食らう、時に亦た人を食らう。其の軀を裸にし、黒毛もて之を覆う。其(新羅)の境限は連山数千(十)里を以てす。中ごろ山峡有り、固むるに鉄門を以てし、之を鉄関と謂う。常に弓弩数千をして之を守らしむ、是に由りて過ぎず。 — 太平広記、巻四八一・新羅条 中国語版ウィキソースに本記事に関連した原文があります。太平廣記/卷第481#新羅 李成市は、「関門」或いは「鉄関城」は新羅東北の井泉郡に位置しており、そこには「炭項関門」乃至は「鉄関城」という軍事施設があり、そこに隣接する東の集団は渤海領域民以外にはあり得ず、長人は井泉郡以北の渤海人とみて間違いなく、長人は新羅辺境の軍事的緊張に密接に関係しており、長人の異形、食人描写からみて、長人が恐怖の対象となっており、長人の人間とは異なる身体的特徴、食人描写、人間の女性を捕らえて衣服を作らせるという記事は異形異類の伝承であり、一般的に異民族は、人間と異なる身体的特徴をもつ異形とされ、敵対者は或いは自らの理解を越えたコスモロジーを持つ人は、人間でなく動物或いは妖怪の類であることが指摘され、18世紀の『択里志』は朝鮮半島東北について以下記しており、朝鮮半島東北の厳しい自然環境は、飲食・衣類の欠乏に及んでおり人々は犬の毛皮をまとっており、長人記事の「黒毛もて身を覆う」や「婦人を得て、以て衣服を治めしむ」内容は、18世紀に至っても衣服の類が欠乏していた朝鮮半島東北部の実情を仮託して創作されたとみなすこともでき、長人は、朝鮮半島東北の人々の習俗に根ざし、日常的な没交渉と軍事的緊張が加味されて醸成された新羅人の幻影の所産であり、「新羅人にとって国境を接する渤海人とは、異形であり、恐怖の対象」「渤海人を恐怖の対象とするにいたった両者の長期間にわたる没交渉と軍事的緊張が、こうした説話の醸成に深くかかわっていた」と指摘している。 以北、山川危険にして、風俗勁悍なり、土寒く地痩せ、穀は惟だ粟麦のみ、粳稲少なく、綿絮無し、土人は狗皮を以て冬を禦ぐ、性飢寒を堪えること一に女真の如し、山に貂參饒く、民は貂參を以て南商の綿布と換え、方に衣袴を得んとす、然るに富厚に非ざる者は能わざる也。 — 択里志 李孝珩(朝鮮語: 이효형、釜山大学)は、「李成市は『新唐書』長人傳承記事を分析して、渤海と新羅の間に交渉がなかったことを明らかにした」と評している。
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