新羅への派遣とは? わかりやすく解説

新羅への派遣(推古5年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/20 13:29 UTC 版)

吉士磐金」の記事における「新羅への派遣(推古5年)」の解説

『日本書紀』巻第二十二によると、推古天皇5年598年11月新羅派遣されたとあるのが名前の初出である。この2年前、595年に、 将軍(いくさのきみ)等(たち)、筑紫(つくし)より至(まういた)る。 とあり、これは巻第二十一にある591年崇峻天皇4年11月)の紀男麻呂大伴咋葛城烏那羅らを大将軍として、任那復興のために筑紫派遣していた2万の軍を呼び戻したことを示している。 翌599年4月新羅より帰国してかささぎ)2羽を献上した。つがいは「難波社」(なにわのもり)で飼育され木の枝に巣をつくって、子を産んだという。これと関係があるのかどうか不明だが、同年8月新羅孔雀1羽を貢上した。さらに、その次の年の9月には、百済駱駝(らくだ)1匹、驢(うさぎうまロバ)を1頭、羊2頭、白い雉(きぎす=キジ)を1羽貢上した。これらの動物は、589年中国統一した隋によってもたらされたものであろうと、直木孝次郎述べている。『三国史記』によると、百済は隋建国581年から使者おくっており、新羅594年に隋から「上開府楽浪郡新羅王」(じょうかいらくろうぐんこう しらぎおう)に叙せられている。 推古天皇8年601年)、新羅任那戦争をし、大和政権からの援軍送られ新羅任那の調(みつぎ)を献上する、という形で決着がついた。

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新羅への派遣(推古31年)

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吉士磐金」の記事における「新羅への派遣(推古31年)」の解説

その20年ほどのちのことである。 推古天皇31年623年7月新羅任那攻撃し服属させた。大和政権半島派兵しようとしたが、慎重論勝利し、磐金は、一族吉士倉下(きし の くらじ)と共に問責使として新羅任那両国派遣された。磐金が新羅担当で、倉下任那担当であった。 この時に磐金らが新羅に渡る際に、出迎えの船に任那側の船がないことを尋ねたため、新羅側は任那用の船を追加した、という。 時の新羅王は、真平王であったが、8人の大夫派遣して新羅国内のことを磐金に伝えた。そして約束していうには、 「任那は小(いささけ)き国なれども天皇すめらみこと)の附庸(ほどかすのくに=包まれ付き従っている国)なり。何(なに)ぞ新羅(しらきのくに)輙(たやす)く有(え)むや。常(つね)の随(まま)に内官家(うちつみやけ)と定(さだ)め、願(ねが)はくは煩(わづら)ふこと無けむ」(「任那小さい国でありますが、天皇につき従い仕える国であります。どうして新羅の国が気まま奪ったりできましょうか今まで通り天皇内官家と定め心配なさいませんように」)訳:宇治谷孟 新羅は奈末智洗遅(なまちせんじ)を磐金に、任那人達奈良末遅(だちそちなまじ)を倉下につけてよこした。そして、磐金は倉下合流し新羅任那両国の調を受け取った。しかし、磐金らがまだ帰国する前に大和政権は、境部雄摩侶中臣国子両名大将軍とする征新羅軍が派遣されてしまった。この時、磐金らは風を待って出向しようと港に集まっていたが、両国使いこの様子を望見し、愕然とした。そこで代役立てて任那の調使いとして、逃げかえってしまった。 磐金は、「軍を起こすことは先の約束とは違う。これでは任那のことはまたうまく行くまい」と倉下語り合ったという。 2人はその年の11月帰国し、この時の有様大臣蘇我馬子詳しく報告したその時馬子は、 「悔(くや)しきかな。早(はや)く師(いくさ)を遣(つかは)しつること」 と言った伝えられる。 この軍事行動大和政権内部対立露わにしたものであり、これによりしばらく続いた新羅との善隣外交崩れ去った

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