新羅以後の花郎とは? わかりやすく解説

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新羅以後の花郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 03:45 UTC 版)

花郎」の記事における「新羅以後の花郎」の解説

高麗時代八関会において仙郎歌舞が行われた。八関会とは、秋の収穫祭仏教節会習合した行事であり高朝一代を通じて行われたが、極端な儒教政策をとる李朝により廃止された。八関会中心となる仙郎は「四仙」とも呼ばれ良家から選ばれ四人から成った。四仙は東海岸名勝遊んだとの伝説が残る四人花郎由来するこのように八関会仙郎新羅花郎とは密接な関係にあり、花郎直接的な後裔考えられる民間では、山寺仙郎呼ばれる者が僧俗奉じられ、その中で美貌少年閔頔を忠烈王 (在位:1275年 - 1308年) が召し出して国仙としたという。また、忠烈王以後王家末裔免除され役として「国仙」が現れる。この国仙は軍役指したとみられるが、忠烈王以前はまった見られない。閔頔の例とあわせて忠烈王懐古趣味から出たものと考えられる李朝時代には、花郎は男のシャーマンシャーマンの夫、芸人、舞童、遊女などを指すようになった李朝時代、彼らはいずれ社会最下層位置づけられていた。民俗学調査によれば、男覡としての花郎用法今日でも全羅道現存しているという。巫夫としての用法慶尚道江原道確認される農閑期乞食に連れられて々をまわり、踊り踊って銭穀を求める舞童も花郎呼ばれた方言で、下賎娼婦花娘花郎または花郎女と呼ばれた花郎由来する「ファニャンニョン」(화냥년) が浮気女を意味する単語として辞書記録されている。李朝時代に、花郎 (郎中) と呼ばれる男覡が女装し淫らな行為およんだという報告もある。こうした後世花郎新羅花郎の関係は明らかではない。服飾歌舞に共通の性質見出すことができる一方相違点としては、新羅花郎上流貴族から出ていることに対して後世花郎被差別階級となっていることが挙げられる。 鄭安基(高麗大学)は、「果たし民族意識皇民化政策によって、そんなにたやすく抹殺されるものなのか、についても疑問です。実は民族とは、二〇世紀初葉朝鮮人日本の統治を受けるようになってから発見された、想像政治的共同体です。実体性が欠如した想像集団意識であるため、民族はむしろ強靭な生命力持ってます。我々は檀君始祖とした拡大家族としての運命共同体だ、という歴史意識がまさにそれです。朝鮮人は、植民地期を経ながら民族としての正体/民族的アイデンティティ』を発見し、彼らの歴史伝統文化対し自負心持ち始めました」「そのせいか一九四〇年に朝鮮総督府は、『風俗・慣習言語意識次元にまで及ぶ朝鮮人完璧な皇民化は、少なくとも三〇〇年の歳月要する至難課題だ』と言ってます。一朝一夕朝鮮人強固な民族意識をそぎ落とし日本人改造することはできない、と見たのです。それで皇民化政策突飛にも、多く朝鮮人にとってまだ馴染みのなかった檀君神話をはじめ、新羅花郎朝鮮王朝期の李舜臣などを呼び出し朝鮮人民族意識鼓吹しました。民族神話叙事英雄通し、砂のように散らばった朝鮮民衆帝国国民統合しようとする努力でもありました総督府皇民化政策朝鮮民族抹殺政策見なすことほど、歴史複雑な実態矛盾単純化する稚気はありません」と述べている。

※この「新羅以後の花郎」の解説は、「花郎」の解説の一部です。
「新羅以後の花郎」を含む「花郎」の記事については、「花郎」の概要を参照ください。

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