李朝時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 00:13 UTC 版)
「大韓民国における売買春」の記事における「李朝時代」の解説
李朝時代にも妓生は国境守備将兵の慰安婦としても活用され、国境の六ヶ所の「鎮」や、女真族の出没する白頭山付近の四ヶ所の邑に派遣され、将兵の裁縫や酒食の相手や夜の共寝をし、士気を鼓舞した。 二牌 (イベ) は、殷勤者または隠勤子といい、隠密に売春業を営んだ女性をさし、一牌妓生崩れがなったという。住宅街の中で暮らしながら隠れて売春する者が多かった。 三牌 (三牌妓生) は完全に娼婦であり、搭仰謀利 (タバンモリ) ともいう。雑歌を唄って接客したとされる。 近代化以前は京城に散在していたが、のちに詩洞 (シドン) に集められ、仕事場を賞花室 (サンファシル) と称して、李氏朝鮮末期には、三牌も妓生と呼ばれるようになった。 花娘遊女は成宗の時代に成立し、春夏は漁港や収税の場所で、秋冬は山寺の僧坊で売春を行った。僧侶が手引きをして、女性を尼として僧坊に置き、売春業を営んでいた。僧侶が仲介していた背景について川村湊は、李朝時代には儒教が強くなり、仏教は衰退し、僧侶は賤民の地位に落とされ、寄進等も途絶えたためと指摘している。 色酒家とは日本でいう飯盛女、酌婦で、旅館などで売春を行った。売酒と売春の店舗をスルチビといい、近年でもバーやキャバレーにスルチプ・アガシ (酒場女)、喫茶店 (チケット茶房) ではタバン・アガシ (茶房女)、現在でもサウナ房 (バン) (ソープランド) や「頽廃理髮所」ともよばれる理髪店でミョンド・アガシ (カミソリ娘) という女性がいる。
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