平家と蓮池
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/08 19:25 UTC 版)
また、蓮池は平清盛の嫡男、平重盛と深い関わりがあると伝えられている。平安時代末期の蓮池の押領使に土肥宗綱という人物がおり、重盛の家来であったと伝わる。のちに、宗綱の子、土肥家綱(蓮池家綱)が土佐国高岡(現在の高知県土佐市)の押領使に任じられた。家綱が高岡に在任中、源頼朝が関東で挙兵すると、平家方の家綱には土佐にいた源希義(頼朝の実弟)を討つように命がくだり、家綱はこれに応えて源希義を討ち取った。その功により、家綱には土佐国の地を拝領し、高岡に築城して蓮池城としたのだという。 蒲田津は現在の蓮池町を構成する4地区のうちの一つ、「蓮池町小松」地区にある小字となっている。小松地区はもともと小松村と呼ばれていた。これは「小松殿」と呼ばれた平重盛の一党が当地へ落ち延びてきたことからついた名だと伝えられている。 鎌倉時代以降、蒲田郷を中心に新田の開発が進み、これらが加納田として荘園のものとなった。元寇のあと、これらはくじ引きによって御家人に分け与えられた。
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