平家の落人と吉野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/06 09:32 UTC 版)
平家の落人は、治承・寿永の乱において敗北し、平家一門およびその郎党、また縁のある者らが、僻地に逃れ住み着いたとされる伝承であるが、現在の吉野郡にも、それらの伝承が残っている。 野迫川村平(たいら)は、平維盛がその生涯を終えた場所とされ、また十津川村五百瀬には維盛の墓と伝えられる祠がある(詳しくは平維盛を参照)。 また上北山村の始祖は、平氏の末族だったと言い伝えられ、村内には平氏と縁のある寺院が多数あり、一門が遺した仏像や古文書が所蔵されている。その寺の一つ景徳寺で毎年1月8日に行われている弓矢祭り(県指定無形民俗文化財)は、平家一門が再興を願い、練式を行っていたことに因むものである。この他に隣接する下北山村や和歌山県の北山村などにも平家伝説が伝わる。 尚、上北山村と下北山村は、元は紀伊国牟婁郡の一部であったが、後に吉野郡に編入された。
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