平家の落人伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/13 14:22 UTC 版)
檜山には平家の落人が隠れ住んだという伝説があり、その証拠となる「平家の赤旗」2旒と古文書が残されていたが、明治初期の廃仏毀釈の中で焼却処分されたと伝えられる。平家の落人の里であることの傍証として、檜山で平家ゆかりの熊野三山を祀ってきたこと、同じく平家の落人伝説の伝わる磯部町五知と同じ「小屋の谷」、「天白の森」という地名が残ることが指摘されているが、詳細は不明である。
※この「平家の落人伝説」の解説は、「磯部町檜山」の解説の一部です。
「平家の落人伝説」を含む「磯部町檜山」の記事については、「磯部町檜山」の概要を参照ください。
平家の落人伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/10 05:47 UTC 版)
「福寿寺 (志摩市)#五知の赤旗」も参照 五知には「平家の落人伝説」が語り継がれており、平家の子孫が今なお暮らしているとされる。五知に伝わる伝承では、寿永の乱を落ち延びた平氏のうち、伊勢国度会郡の菖蒲池(現・伊勢市矢持町)にたどり着いた一行がさらに山を越えて五知へやって来て余生を過ごしたという。この伝説を裏付けるものとして「平家の赤旗」または「五知の赤旗」と呼ばれる旗が2流残されており、福寿寺で保存している。 平家の赤旗以外にも、陰に陽に伝説を裏付ける事象が五知にある。平家は熊野三山を崇拝していたが、五知では磯部神社に合祀されるまで新宮熊野神社、本宮熊野神社、権現熊野神社の3社を祀り、それぞれ熊野速玉大社、熊野本宮大社、熊野那智大社から勧請したとされる。また他の平家の落人伝説を有する地域が五家庄や五箇(福井県)など「ごか」という地名を持っており、五知という地名も五箇地⇒五地⇒五知と変化したという説がある。志摩市内ではほかに磯部町檜山でも平家の落人伝説を残しており、檜山では伝説の裏付けとして、五知と同じ「小屋の谷」、「天白の森」という地名があることを傍証としている。 平家との関連は不明ながら、一定の年齢に達した男子が烏帽子親を選び、元服の儀式で烏帽子親に加冠してもらうという風習が五知に存在した。
※この「平家の落人伝説」の解説は、「磯部町五知」の解説の一部です。
「平家の落人伝説」を含む「磯部町五知」の記事については、「磯部町五知」の概要を参照ください。
平家の落人伝説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/27 15:19 UTC 版)
古代より葬送の地として知られる蓮台野(れんだいの)、衣笠山、宇多野と呼ばれた山野の外側にある原谷地域は、京都の中心からほど近くに位置しながらも、歴史の表舞台に登場することはなかった。 当地で祀られる「原谷弁財天」の縁起には、 壇ノ浦の戦いに破れた平家一門が、都に近い当地に落ち延びた旨を記載し、その後400年の間に水田8反歩(約7,933m²)、畑3町歩(約29,752m²)を開墾したものの、後に住民が次々と離れ、過疎地帯になったとしている。 京野菜の辛味大根は、元来原谷大根と呼ばれており、元禄年間(1688年 - 1704年)までに、当地で栽培されていたとされる。 当地は近世までは葛野郡大北山村の一部であったが、1889年(明治22年)に周辺各村が合併して衣笠村の一部となった。同年に発行された陸軍部測量局「明治京都中部実測図」では、衣笠山官有地の北方に、鷹峯、宇多野、そして金閣寺西側へ伸びる小道とともに字原谷の文字が記載されている。なお、この地図を含め、昭和初期までに発行された地図からは、当地内に集落の存在を確認することはできない。 先の縁起には、明治初期以降「恐慌と不便さのため、(中略)70年間、人の住まない山林と化した」と記されている。1918年(大正7年)に京都市上京区に編入されるも、民有地ながら手入れされない状況は変わらなかった。太平洋戦争の激化に従って山林の一部が乱伐されながら、昼なお暗い山林と化し、原野が広がるばかりの状態であったという。 昭和22年秋、(中略)京都府農地開拓課長(中略)により内命を受け、書いてもらった略図を頼りに下見聞にでた。金閣の裏山にある蓮華谷火葬場の百米下から、まっ立に上る一本の溝の様な山道が、原谷に通ずる唯一つの道で、(中略)京都からたった2粁しかはなれていないが、文明社会から隔絶した一見平和の里がまん中に五町歩程度見える外は、周囲、松山と杉桧に雑木林で、昼なお暗いうっ蒼と茂った林一面で、ほそ道づたいに歩き廻ると、ところどころに山小屋程度の住宅にランプ生活の住み家が見えて、この土地の様子を聞くと、離ればなれに五戸程あるが、なにも交際していないので詳細は不明ですといった。 「原谷開拓二十周年を迎え、思い出の辞」(初代組合長 前原関三郎)より一部抜粋、原文ママ
※この「平家の落人伝説」の解説は、「原谷 (京都市)」の解説の一部です。
「平家の落人伝説」を含む「原谷 (京都市)」の記事については、「原谷 (京都市)」の概要を参照ください。
- 平家の落人伝説のページへのリンク