平家の落人伝承とは? わかりやすく解説

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平家の落人伝承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/13 09:04 UTC 版)

芸濃町河内」の記事における「平家の落人伝承」の解説

伊勢平氏落人伝承三重県数多く残るが、中でも芸濃町河内のものは際立った存在である。成覚寺所蔵する安濃郡河内村の始メ』には、伊勢国伊賀国境界に近い河内平家の落人逃れてきたと伝えている。『安濃郡河内村の始メ』は前半部が『平家物語』からの抜粋後半部河内村の各集落創設起源に関する物語構成される。『安濃郡河内村の始メ』は成覚寺の僧である浄信が万治元年1658年)に元の文書筆写したもの末尾記されているが、その時すでに浄信は亡くなっているはずなので、書き手不明である。成覚寺には寛政丙辰9月グレゴリオ暦1796年10月)の銘が入った平維盛墓碑がある。以下が伝承の内容である。 「 維盛熊野落ち延び、そこで入水したとされるが、実際に入水した見せかけ熊野から伊勢国入り河内までたどり着き河内落合集落草庵を結び、承元4年3月28日ユリウス暦1210年4月23日)に河内亡くなった維盛とともに河内落ち延びた平家一門21家はその後河内住み子孫250戸余まで繁栄した。 」 この伝承は寛政期以降発信強くなっており、渡辺康代は河内村有力者であった落合家が平家血筋を引く最も由緒正し家柄であることを示すとともに落合家がを拓いたこと、木地師として昔から生計立ててきたこと、落合家を中心として河内村が一体となっていることを知らしめる意図があったと推定している。その目的は、落合家が津藩無足人郷士)となるのにふさわしい家柄であることを示すと同時に津藩御林造林のために挙一致させることであった渡辺康代は考察している。 2011年平成23年6月5日には、同年大河ドラマ平清盛放映による平家ブーム到来想定し伊勢平氏会が成覚寺総会開き、「平維盛生涯」と題した講演行われた津市内には一志町波瀬美杉町太郎生落人伝承産品平家発祥の地伝説河芸町別保人魚伝説など平家まつわる伝説を持つ地が数多く存在する

※この「平家の落人伝承」の解説は、「芸濃町河内」の解説の一部です。
「平家の落人伝承」を含む「芸濃町河内」の記事については、「芸濃町河内」の概要を参照ください。

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