平家の落人伝説と五輪塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/20 05:27 UTC 版)
「日神石仏群」の記事における「平家の落人伝説と五輪塔」の解説
日神には平家の落人伝説があり、平高清(平六代君)が日神で隠棲生活を送ったと伝えられている。石仏群の中にある五輪塔のうちの向かい合った2基は六代君の墓として伝わり、平家の残党が供養のために碑などを建立したのではないかと伝承されている。これらの五輪塔は向かい合っている構造の建築物で五輪塔の高さは131cmである。鎌倉時代末期の秀作と評され、特に南方塔の反り花が優れている。同じような伝承が松阪市嬉野森本町の日川(ひかわ)集落にも残っている。 太郎生を含む六箇山(むこやま)の地は平安時代末期に平頼盛の所領であり、『吾妻鏡』によれば平家滅亡から20年を経ても平家の残党がこの地に城郭を築いて勢力を保ち、数日間に及ぶ源氏との戦いの末、元久元年5月(ユリウス暦:1204年5月 - 6月)に敗退したという。
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